新・議論エントリーその1

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“新・議論エントリーその1” への191件の返信

  1. 鈴木署長、白石保安課長の字は読み取れるね!人肉商というのも日本人だったら、とっくの昔に騒いでいるよね?

    人肉商の兇計百出
    許可もない女を青楼に捕らえ、強制売春
    警察は徹底取り方針
    時代日報1925年08月22日
    原所蔵先:(チョンノ図書館)
    ttp://lod.nl.go.kr/page/CNTS-00093378595

    元祖御主人様である中国人による朝鮮少女の誘拐、朝鮮人が朝鮮少女を中国人に売る話もあるんだよね!

    朝鮮人子女を買収する中国人取手
    中外日報1927年06月15日
    所蔵先:延世大学校中央図書館
    ttp://viewer.nl.go.kr:8080/main.wviewer?cno=CNTS-00093430489

    自ら、或いは、男に売られて、密航、偽装結婚をして日本に慰安婦になりにきていた女。コロナ前は観光客として、ワーキングホリデーの悪用、密航でやって来ていたキムチ女。

    日本の韓国人東京遊興街を掌握する「コリンアンクラブ」
    1985.02.16 東亜日報 9面社会記事(企画連載)
    ttps://newslibrary.naver.com/viewer/index.naver?articleId=1985021600209209007
    東京遊興街を掌握する「コリンアンクラブ」
    金次雄(キム・チャウン)特派員の日本列島深層取材
    韓国語看板の大小の居酒屋
    偽装偽装などで入国した韓国人ホステス5千名余り

    日本の韓國人 第2部「風俗店」の隠れた主人に
    1985.12.07 東亜日報 9面社会記事(企画/連載)
    ttps://newslibrary.naver.com/viewer/index.naver?articleId=1985120700209209001
    東京吉原・新宿、トルコ風呂30%運営
    法・稅金頭が痛い
    日本人社長を雇用

    Korean Prostitution Business
    ttps://www.oocities.org/eastasianissues/ComfortWomen/KoreanProstitutionBiz.htm

    Korean prostitution business estimates 4% of GDP. About 1million people are in this field of business in Korea. Prostitution is a traditional big business in Korean history.

    韓国の売春事業

    韓国の売春事業はGDPの4%と見積もられています。 韓国では約100万人がこの分野のビジネスに携わっています。 売春は韓国の歴史における伝統的に大きな産業です。

    捏造でない本当の韓流は世界で大人気?鶯谷のホテル街だけじゃない、世界にはびこる南の喜び組!

    San Francisco Korean Escorts – Bay Area Korean Girls Directory
    ttps://bayareakoreangirls.com/

    Korean Prostitution Ring in California Shames the Korean Community
    ttps://www.donga.com/en/article/all/20050704/242216/1

    HSIは、カリフォルニアとニューヨークで売春を手配した韓国人身売買組織のリーダーの逮捕を支援します
    HSI assists in arrest of leader of Korean human smuggling organization for arranging prostitution in California and New York
    ttps://www.ice.gov/news/releases/hsi-assists-arrest-leader-korean-human-smuggling-organization-arranging-prostitution

  2.  久しぶりに「雑談」と「新・議論エントリー1」を読み返しました。いやー良質なエセー一冊を読んだ感じ。バラバラのようでいて、繋がってるから面白い。集合知かな?

  3. 「三清教育隊(삼청 교육대)」について質問があったので、ちょっとだけ綴ってみます。

    1980年代、全斗煥政権が実行した『ダメ人間再教育機関』です。街の不良輩から学校の問題児まで、数万人がこの部隊に連行されたと言われています。

    『教育』とは、徹底した隔離・集団生活による厳しい規律(暴力)による『服従』のことです。何かを教えるわけではありません。捕虜収容所のようなものだと見てもいいでしょう。

    その強度が想像を超えていたらしく、後遺症によるものまで含めて数役人が死亡、社会生活ができなくなった(おかしくなった)人はその10倍にはなると言われています。

    でも、これ、当時は支持する市民も結構いました。

    1. >後遺症によるものまで含めて数役人が死亡、

      「数役人」
      「約数人」の誤字ですかね。

      >社会生活ができなくなった(おかしくなった)人はその10倍にはなると言われています。

      しかし、やべぇ施設だ。なんとかヨットスクールの強化版みたいな。

      1. すみません。『数百人』の間違いでした。死亡者が数百人、社会生活がちゃんとできなくなった人は数千人規模だと聞いています。

        1. >『数百人』の間違いでした。

          数人どころじゃなかった!? 大量殺人やないですか……。

    2. >でも、これ、当時は支持する市民も結構いました。

      三清教育隊は稚拙という意味で否定しても、思想的には支持する人は相当多い(おそらく当時より今の方が多い)と思います。
      悪い行為は悪い心を持つ悪人が起こす、だから悪い心を取り除くのは「善」だ、という思想の延長上にあるので。
      (全斗煥自身は、これは邪魔な奴の排除であり「悪」だという自覚があるはずだから違うけれども。)

      例えば、自民党憲法改正草案では第19条を「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」から「思想及び良心の自由は、保障する」に変えているのですが、上記の思想が入り込んでいるのです。
      他者(公共)に干渉する可能性がある、表現や結社の自由は「(公共の福祉に反しない限り)保障する」でいいのですが。

      自称リベラル界隈は、思想及び良心の自由にもっと干渉するので、困るのですが。(真のリベラルもいますが。)

      このコメントで言いたい事を、シンシアリーさんは分かりますでしょうか?

      1. >motton さん
        >自民党憲法改正草案では第19条を「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」から「思想及び良心の自由は、保障する」に変えているのですが、上記の思想が入り込んでいるのです。

        >自称リベラル界隈は、思想及び良心の自由にもっと干渉するので、困る

        あー、つまり、例えるなら、韓国の大統領が権力強化したことを野党が非難していても、野党が政権を取れば結局は撤回せずに権力を濫用するような? 日本でも、万が一にでも特定野党が政権を取れば、それと同じようなことが起こりうるということですか。

      2. mottonさんが言いたいことを推察しますと、
        「良心の自由は、これを侵してはならない」は「自由権が、権力の上に在る」
        「良心の自由は、これを保障する」は「自由権が、権力の下に在る」
        という事でしょう。

        以下、憲法学小講義
        この上下は「序列関係」じゃなくて「自由権に対して、権力がそれを左右することが、認められるかどうか」です。
        前者は「不可侵である事の確認」
        後者は「不可侵とは言っていない」

        前者は「消極的自由権」に関する言い方です。
        「消極的自由:何者かに干渉されない自由」
        後者は「積極的自由権」に関する言い方です。
        「積極的自由:何かを行なう自由」

        ですから、後者は「自由と自由が競合する場合」が生じます。
        ゆえに、権力が「調整機関」として介入する必要性が認められます。
        良心の自由は「権力の干渉」が、理念上は「原理的に不可能」でなければなりません。
        なので、良心の自由を規定する条文が「積極的自由権型」であってはいけないのです。
        自民党の右派に「人権論」をきちんと理解しない傾向が強い事の表れです。
        こういう点を「パヨク」に攻撃されるのですよ。

        左翼の理念は「党が人権の上」ですけどね。

        1. 解説ありがとうございます。

          日本人だと、前者が「私」的自由で後者が「公」的自由と言われると、すんなり理解できるかもしれませんね。
          (宗教は「私」に干渉するから、宗教の影響が強い社会では理解できないかもしれない。)

          消極的自由「権」というから混乱するのかもしれませんね。
          良心の自由(人格の不可侵性)は、人としての資格というべきでしょうか。それ無しで他者(社会)と権利についての契約を結ぶのはおかしいので。

          >こういう点を「パヨク」に攻撃されるのですよ。

          きちんと攻撃できるのは、真のリベラルだけでしょう。
          「パヨク」と自民党の右派は同類であって「俺様(の理想)が人権の上」ですから、きちんと攻撃できません。互いに「お前(の理想)が俺様の人権の上なのはけしからん」と攻撃するのみです。

        2. いやいや、パヨクを甘く見てはいけません。
          彼らは「価値観が違う」だけで、優秀な人も多いです。

          (パヨクを、広く解釈し過ぎかも知れませんが)
          例えば、司法試験に合格するぐらいのレベルなら、そういう事は「知識として」身につけています。

          パヨクのパヨクたる所以は「そういう価値観を信奉しない」のに、「その価値観による論理」を「敵を攻撃するための武器」として活用するところです。

          そういうのは手強いのです
          パヨクの上位種族、ゴブリンだとホブゴブリンかな。

          1. >パヨクのパヨクたる所以は「そういう価値観を信奉しない」のに、「その価値観による論理」を「敵を攻撃するための武器」として活用するところです。

            必殺の、ブーメラン(異称=ネロナンブル・わロたふ・ダブルスタンダード)ですね。
            そういう価値観を「信奉しない」どころか「真反対のことを実践」しておきながら、相手を攻撃する時だけは利用する。
            むしろ、「真反対のことを実践」しているからこそ、影の部分を相手に「投影」して(擦り付けて)叩いているようにも思えます。「自分ならこうするから、相手も同じことやってるに決まっている」という思考の延長線上です。
            そうすることで、自分の中の影の部分を掃き出し、批判者の地位に居座ろうとしているのでしょう。
            metoo運動で人権派気取ってた人が、性犯罪で問題になるのがいい例です。

          2. でも、パヨクがどんなに人権侵害だと死刑に反対しても日本人の8割は死刑存続なんですよね。
            知識としての人権では、素朴な「”人でなし”に人権はない」に太刀打ちできない。

            これの怖いのは、本来は、
            “人でなし”:存在を否定(生存権も否定)
            “人”:消極的自由権(生存権や思想・良心の自由など)は不可侵。積極的自由権は公共の福祉に反しない限り保障
            であるはずが、
            “人”:死刑などの場合は、消極的自由権も不可侵ではない。(全ての自由権は公共の福祉に反しない限り保障)
            のように「誤解」される可能性があり、
            思想・良心の自由をも公共の福祉(という名目だが、俺様の理想の実現)のために制限したい「パヨク」や「ウヨ」は、この「誤解」を放置する可能性が高いことです。

    3. 1980年は5.18光州事件の年です。軍政期とはいえ、さすがに西側のメディアもたくさんいたはずだと思うのですが、三清教育隊についてはあまり報じられていないような気がしました。不思議です。

            死者     負傷者
      光州事件  154     3028
      三清教育隊 54(+394) 2678

      光州事件にも匹敵する被害者の数を出していながら、なぜ出て来ない(あまり論じられない)のか。単に私の勉強不足なのかとも思いますが、ちょっと衝撃でした。

      皆さん、ありがとうございます。

  4. さてと、ここが空いてるから、ここでやりましょう。

    「日本人の軍事アレルギー」について。
    まず「軍事アレルギーの内容」です。

    私の考えでは「軍事に携わるのを忌避したい」という指向性の事です。
    これは「愛郷心」や「仲間や家族を護るために発揮される勇敢さ」とは「別のモノ」です。

    一面では、
    「戦争のプロである事」を「なるべくなら回避したい」という「消極的なもの」が「軍事アレルギーの現れ」です。
    「自分や家族が、戦争のプロになる事」を、まず忌避します。
    そして「戦争に関する技術の習得」を「無用のもの」と考えるようになります。

    他面では、
    「何のために戦争をやるのか」を「考えなく」なります。
    漠然と「戦争とは、何か禍々しいもの」と考え、誰もが「目的と方法論」を考えなくなります。
    ついには「戦争の思想」が「民族全体で」デタラメになります。
    「朝鮮的なデタラメ:思考形式がおかしい」とは違って「それを考える事自体を、倫理的な【悪】と思い込む」のです。

    このような指向性と、その効果は、「現代の戦争」を「誰も理解しないで行なわれた太平洋戦争」で破綻を招きました。
    それまでは「武士としての勇猛心」の名残と「明治維新前後の軍事の必要性の自覚」によって、「破綻しないで、戦争を何とかやれていた」のですが。
    はっきり言えば、日清・日露の勝利は「僥倖」です。
    しかも太平洋戦争の破綻は「武士としての勇猛心」が招いた、と考える事も可能だと思います。「武勇を示す」のが「戦争の目的」だと、勘違いしていたのですね。
    武勇を示すのは、近代以降では「戦争目的を達成するための手段の一環」でしかないのですが、そこを理解する「軍人・政治家」が少なかった。

    端的に言えば「軍人でさえ、きちんと【戦争】を考えない」ので、太平洋戦争ぐらいのレベルになると「戦争の思想の不在」が致命的になったのです。

    今日は、これぐらいにして、次からは「そういう心性が、どのように形成されたのか」を考えてみます。

    1. 謹賀新年

      >「武勇を示す」のが「戦争の目的」だと、勘違いしていたのですね。
      うーん。
      日清・日露・太平洋戦争に関しては、勘違いではないかなあ。
      「戦争の目的」には、覇権を取るという積極的なものもありますが、近代日本(というか相対的に小国側)の戦争の目的は、基本的には「防衛」です。「将来の防衛」のために戦って力を示す必要があるのです。

      古今東西の領土拡大を狙った戦争でも、一見、覇権を取るのが目的なように見えるのですが、国力を増大したり国境線を中央から遠ざけることによる「将来の防衛」が基本的な目的だったりします。(古代ローマが対ゲルマンのためにガリアを欲したのが典型。ロシアの東方拡大も基本的にはこれ。)
      これの厄介なのは、中央は国境線を遠ざけて安全になったつもりでも、新たな国境に隣接した危険な地「辺境」が生まれ、その地に移住した住人が「防衛」のために(中央の意志に逆らっても)さらなる領土拡大を指向するというものです。

      本物の覇権を取る戦争(天下統一のための内戦。統一したら終結する)しか基本的に知らない日本人は、これを理解していませんでした。日本を守るために朝鮮、朝鮮を守るために満州、満州を守るために…となることに後で気付きました。
      (「厄介」なのは、理解したからといって解決策はない、ってことです。大陸の戦争原理であり、大陸で帝国が生まれては分裂する原理なので。近代では、日本海が絶対の防壁ではなくなったので、否応なしに大陸と繋がってしまう。)

      さて、日清・日露・太平洋戦争に関しては、冷戦にならず「戦争」になった基本的な原因は「相手が日本(人)を舐めていた」ことです。冷戦という妥協をしなくても日本を降せると。(戦わずして降る朝鮮と同じだと思われていたという意味。)
      だから、日本は「武勇を示す」ことで相手に妥協を強いる(「防衛」に成功する)必要がありました。日英同盟や三国同盟などの外交もそのためのものですが、それだけでは妥協を強いることが出来ませんでした。

      清もロシアもアメリカも戦後の認識は「日本がこんなに強いなんて聞いてない」です。日本からしたら「目を開いて見ろよ。耳を澄まして聞けよ」です。
      (開戦前に、アメリカ国民に「これ以上、F.D.R. が日本を追い詰めたら戦争になる。勝てるけど10万人戦死する。どうする?」って聞くと「やめろ」と答えるでしょう。しかし、日本には「10万人戦死させる」実績が無かったのです。日清・日露の勝利は「僥倖」だと思われていたから。)
      根底には人種差別があります。戦争で日本が力を示したことで、それがかなり払拭された現在において、「戦わずに」それを払拭して日本の力を認めさせる(「防衛」に成功する)ルートを考えるのは非常に難しいのです。

      >「自分や家族が、戦争のプロになる事」を、まず忌避します。
      古今東西の庶民にとって共通でしょう。
      戦争(武装権)を独占することで支配階級となった武士などが特別なだけで。国民国家になって、その独占がなくなったとはいえ「真っ先に死ぬ」ことは回避したいのが生物としての本能です。
      だから、各国とも名誉・特権と手厚い補償(軍人恩給等)を与えることで「戦争のプロ」を作るわけです。

      >そして「戦争に関する技術の習得」を「無用のもの」と考えるようになります。
      日本人が?兵器のおもちゃが大好きなのに?武術や格闘技が大好きなのに?アニメやマンガでは戦闘そのものが好きな主人公が許されるのに?女の子が肉弾戦をするアニメが長年愛されているのに?

      >「戦争とは、何か禍々しいもの」と考え
      これも古今東西の庶民にとって共通です。アホな戦争をしないために、庶民はこれでいい。でも、本土を異民族に蹂躙されていない日本はまだまだ温いかと。せいぜい「空襲」でしょ。アメリカは、もっと温い。せいぜい「帰還兵」だもの。良くも悪くも戦争のイメージがまだまだ綺麗なのです。

      ただ、現在の日本において、太平洋戦争の敗戦による思考面での後遺症はいくつかあります。
      一つ目は、島国に戻ったことで、上記の大陸の原理を忘れてしまったこと。単純に侵略(領土拡大)だと解釈するようになってしまった。サヨク(大陸や共産主義者の尖兵)のプロパガンダがそれを補強した。
      二つ目は、負けたことで戦争目的の大半(人種差別撤廃。自由貿易、特に米国市場の開放。対共産軍事同盟。それらによる大陸問題の解決。以上による日本の安定的な防衛=平和)が達成されたことで、戦った意味が分からなくなった。(日本もアメリカも良くも悪くも無垢ゆえバカで善良だったのも大きい。)

      もう一つ。日本人は「戦いそのものに価値を見出す」という価値観を持つ。これは、勝った者が正しい(正しい者=正しい政策を取った者が勝って天下人になる)という大陸ではありえない幸福な歴史を持つため。
      だから、神の代理人たる天皇が負けたと言ったことで、自分たちが間違っていたと自己否定してしまった。これが、1つ目と2つ目を補強してしまった。
      例えば、アメリカ側や中国側の問題や彼らの意志を考えなくなってしまった。傲慢にも日本側の問題や意志だけで語ろうとするようになってしまった。歴史家(有能な政治家)の目ではなく、日本人(庶民)の目でしか見ないようになってしまった。
      太平洋戦争における最大の因子は、太平洋両岸の二つの新興国の覇権争い(軍事バランス)と、強国側のアメリカ=F.D.R.の意志。その意志が「やる気」なら、日本はほぼ史実のような行動をするしかないかと。

    2. mottonさんへ
      謹賀新年。
      言い方が分かりにくかったようなので、言い直してみます。

      「軍事の目的」は「国益を護る事」でしょ。
      ですから「何が国益なのか」を「脳みそから汗が出るほど」考えなければならないのです。
      「国民全体で」が望ましいですけど、それは無理なので、せめて「政治家」と「軍人」は。
      そして「軍人」は「国益を考えはしても、何が国益かを、自分で決定してはいけない」、つまり、決定するのは「政治家の仕事」。

      もう二つ「軍事=戦争」ではない。そして「戦争=戦闘」ではない。それが「混同しやすいポイント」だと思います。
      日本人は「戦闘」が好きなのです。戦争ごっこや戦記物や武芸の鍛錬が好きなのは、その延長です。
      でも「戦争」は嫌い。
      「軍事」に至っては「音痴に等しい」

      こういう風に「変な事」になった原因は「日本人が、民族として【軍事の思想】を考えずに済んできた幸運な歴史」です。
      そこも、おっしゃる通り。

      で、これもおっしゃる通りですけど、日清・日露の頃までは「軍事の目的である国益」は「防衛」でした。
      そして「防衛を勝ち取る:敵の戦意を削ぐための手段」が「武勇を示す事」です。

      日本人は「武勇を示す事自体」が目的化する傾向が強い。
      「健康のためなら、死んでも良い」みたいに。
      それが、言いたかった事の一つ目です。

      さて、続きは夜にでも。
      テーマが大きいので、ゆっくり話をしましょう。

      1. 「国益を護る事」の意味は簡単で「国民(国家のオーナー)の命を護る事。命を繋ぐ糧となる財産を護る事」です。
        ただし、より正確には「国民の子孫の(以下略)」になります。だから、非常に難しい。現時点で存在するそれらではなく、「将来」のそれらを考えることになるので。
        この瞬間の国民の命を護りたいなら戦争なんかしてはいけません。でも、領土などの財産や自由を失えば、「将来」の子孫の繁栄は望めません。だから、命を消費する戦争をするのです。
        これは野生動物が基本的には争いを避けるが、命を繋ぐ糧となる縄張りを護るためには命を賭けて戦うことと同じです。野生動物も戦うことは嫌いだが戦う力は磨きます。

        日本人もズレてはいません。むしろ、宗教や思想による歪みがない分だけ野生動物本来の合理的なものに近く、社会が安定してきた歴史から「将来」のスコープが長く未来への責任感が強いので、正確で強い反応をします。(ここが朝鮮とは真逆。)
        一つの問題は、世界では日本人のそれが当たり前ではない、ということです。日本人なら「武勇を示す」だけで十分でも、アホな奴等には十分ではないということが、日本人にはなかなか分からない。

        もう一つの問題は、日本も含めて国内問題(特に為政者個人の己れの命・財産を護りたいという欲求)が外交に反映する場合が少なからずあり、相手国の意志の在処を正確に知っておかないと間違えるというものです。為政者個人を過大評価しても過小評価しても間違えます。(太平洋戦争で日本がやったミスはこれ。対中国でもやっている。もちろん世界中でミスしまくりなので日本だけの問題ではない。「また」大きなミスをして世界大戦になるくらいなら、特権をやるから本音で話し合えというのが安保理。)
        相手国の意志の在処を理解し、その将来を考えた意志を把握した上で、自らの将来を考えて決定しなければならないわけで、非常に難しい。相手国の意志が分からないからリスク管理で軍備拡大すると、こちらの意志を間違って理解され事態が悪化する、とかよくありそうなわけで。(相手国の意志が分からないからリスク管理で総動員をかけたら戦争になったのが WWI だし。)

        私は、ここの難しさが決定的だと思うので、「日本人論」に逃げるのは非常に気に入らないのです。軍事には相手がいるという基本中の基本がすっ飛ばされる危険性があるので。
        あと、弱小国側でも能動的に決定して望みが叶うと誤解する危険性があるのも嫌。弱小国側は、基本的には受動的に動くしかないわけで、望むが叶う可能性はないかもしれない(ゲームじゃないからハッピーエンドへのクリアルートはないかもしれない)というのが現実なわけで。

      2. mottonさんは「日本人論に逃げるのは、気に入らない」とおっしゃいますが(気持ちは分かりますけど)私が語りたいのは、結局「日本人論」なので、妥協して話を合わせてください。
        「逃げている」のでは有りませんので。

        こちらから話を合わせますと、つまりは「日本人の欠点」は「世界標準が、日本よりずっと低レベルなのを、分からない」という事ですね。
        しかし、それって「バカとあまり付き合わずに済んだ」という「僥倖」のもたらした現象じゃないでしょうか。

        世界は、広くて、「野蛮」で「バカ」です。
        ※「野蛮」や「バカ」は、必ずしも「否定的評価」とは限りません。mottonさんは分かるでしょうけど、分からない人もいるでしょうから、注釈を。

        私は、日本人が、そういう「世界標準の低さ」に気付く事が重要だと思うのです。
        世界標準は、日本人の常識から見ると、すごく低レベルで、しかも「その低レベルにさえ届かない集団」が、たくさん有ります、すぐ隣にも、ね。
        ※場合によっては、そういう「低レベルの常識」が「正しい選択を導く」という事態も有り得ます。

        歴史の幸運で、日本人は「いろいろな点で、人類標準より、前に行ってしまっている」のです。
        で、そういう「日本の特殊性」を「ホルホルしないで」考えると、人類が「次のステップ」に進むための…と言うか、その前に「世界標準=欧米標準が、本当に【世界で】一般化するか」を考えるためのヒントになると思います。

        もちろん、日本の常識も「世界から遅れている部分」は有ると思いますけど。
        その表れの一つが「軍事に関する思想の浅さ」だと思います。
        具体的に、その要素を三つ上げると、一つは「軍事は外交の一環」が分からない。
        もう一つは「軍事の9割は兵站である」が分からない。
        そして「軍事は【国民生活のすべて】が支えている」が分からない。
        この「分からない」は「実感できない」と読み替える方が正確かもしれない、とも思います。

        孫子やクラウゼヴィッツを読んでいる人は多いと思いますけど、結局彼らはそういう事を説いているのに、日本人は、それが「知識」に留まって「血肉」にはなりません。
        それは、日本人が「そういう事が必要な冷酷な環境に置かれないで、近代を迎えたから」だと思うのですよ。

    3. 孫氏もクラウゼヴィッツも読んでないので、黙ってお二人の話しを聞いている方がいいようにも思うのですが。。。

      日清・日露の両戦争は「暁光」ではないです。
      日清は勝てる戦争を、日露は勝てずとも引き分けに持ち込む戦争をしました。
      日露戦争では特に、日英同盟の締結と、ロシア憎しのユダヤ社会の協力が得られたのが大きい。

      ユダヤの陰での協力は、資金面での援助と世論の形成です。
      日清戦争の時にやられたような、アメリカのイエローペーパーにでっち上げ記事を書かれる事もなく、日本の正当性の援護記事を掲載して、人種差別でロシア寄りになりそうな欧米世論を日本寄りにしてくれています。
      こういうプロパガンダをやらせたら、ユダヤ人の右に出る者はいない。
      日本人には、決して出来ない事です。
      そういう所まで考えると、日露戦争は勝たせて貰った戦争と言えるかもしれません。

      ロシアの都合とアメリカの仲介で、辛うじて勝ちを拾った日本ですが、それを国民に説明できませんでした。
      勝ったと宣伝し過ぎたからです。
      勝ったのに賠償金は入って来ない。
      命を張って、損だけをした日本国民は怒りに震えました。
      国民を納得させる事が出来なかった。
      私はここが分岐点だと思うのです。
      国民をコントロールできなくて、美味い事しか言えなくなるのは、お馴染みの光景です。

      もう一点。
      「日英同盟は何故解消されたか?」です。

      日露戦争で、やたらノリノリで日本に協力 ( というかロシアに嫌がらせ ) してくれたイギリスは、第一次大戦の時に日本に協力を要請します。
      しかし日本は、イギリスの要請に十分に応えたとは言えません。
      イギリスから見て、日露戦争の借りを返すだけの兵力は送って来ませんでした。
      もし行っていたら、かなりの日本人が戦死していたはずです。
      ヨーロッパの戦場は過酷でした。
      塹壕での睨み合いが果てしなく続く消耗戦。
      馬ではなく、戦車が活躍した新しい戦争です。
      日本軍の将官は、これを「見なかった。」

      更にアジアでちょこちょこっとドイツと戦って、火事場泥棒ような真似をした日本にイギリスは不信感を抱いた。
      当然の同盟解消ですよね。

      日本人は
      「同盟」というものを理解していなかった。
      プロパガンダの大切さを理解していなかった。
      兵站の重要性を理解していなかった。
      新しい技術を理解しなかった。
      そして国民のコントロールに失敗した。

      何よりも、国民の命を蔑ろにした。
      未来を守るための犠牲にしたって、無駄死にが多すぎる。

      本編でも書きましたが、二次大戦の時には、民間船を接収しておいて、護衛も無く物資を運ばせて沈められる、という愚行を繰り返しました。
      海軍は船舶の護衛を、軍の仕事ではないと断りました。

      これでは「軍事アレルギーになるな」という方が間違っています。

      日本人はね、全体を見渡せる人がいても、その人が当たり前に上に立てない構造がダメ。
      詰まるんですよ色んなことが。
      詰まって滞る。
      太平楽の時には、それでいいんですけどね。

      1. >国民をコントロールできなくて、美味い事しか言えなくなるのは、お馴染みの光景です。

        古今東西でありふれた光景でしょう。為政者の立場で思考できる庶民はほとんどいませんから。おそらく日本は非常にマシな部類です。
        # みなさん、日本人(の庶民)の問題にするじゃないですか。その時点でもうズレています。普通は、庶民には無理だと最初から諦めて、戦時には Imperator が独裁をするのです。

        >しかし日本は、イギリスの要請に十分に応えたとは言えません。

        以下の難しい問題を孕んでいるのですが、ほとんど指摘されることはありません。
        >もし行っていたら、かなりの日本人が戦死していたはずです。
        この意味を戦前(戦死が発生する前)に理解する庶民はほとんどいません。
        しかし、戦後に庶民は流した血に見合う対価を求めます。お金では釣り合いません。求めるのは領土(血を流した地)です。
        だから、日本が満州から、イスラエルがガザから、アメリカが沖縄から引き揚げるのは非常に困難なのです。

        当時、日本がヨーロッパに領土を求めることは、イギリスも日本自身も望みませんでした。だから、陸軍は送れません。ただし、WWIの戦場を観戦武官は見てはいます。
        (第二次上海事変では、ドイツ製の武装&戦争計画の国民党軍の大軍に圧勝するわけで。)

        海軍に関しては、世界最新鋭の超弩級巡洋戦艦である金剛と比叡を送る選択肢はありました。(ちなみに金剛はイギリス製。)
        しかし、当時の戦略兵器である戦艦の進歩は目覚ましく、旧式艦はあっという間に陳腐化する時代で、日本の戦力は事実上この2隻だけだったのです。(日本だけではなく列強はみな同様でした。だから、イギリスとしては金剛が欲しかったのは確か。)
        全戦力をヨーロッパに送ることはありえませんでした。1隻でも沈没したら戦力が半減するリスクは取れません。

        イギリス(本国政府)は理解していました。WWI後、日英同盟の存続に積極的なのはイギリスの方なのです。イギリスには、太平洋における力がもはやなくなっていました。
        ここで、オーストラリアという因子が出てきます。オーストラリアは WWI に ANZAC として参加したことでイギリスへの発言力を高めていました。そして、白豪主義・帝国主義で日本と対立していました。日英同盟の深化は困るわけです。一方で、日英同盟が無くなると日本の侵略が不安です(日本にはその気はない。黄禍論の一種。)
        結果、オーストラリアはアメリカを巻き込む(イギリスからアメリカに乗り換える)ことにしました。もちろん、アメリカは日英同盟が邪魔ですから賛成です。
        ここで、日本があくまでも日英同盟の存続を望めば良かったのですが、ちょっと夢を見たのです。軍事同盟に縛られない外交的自由の夢を(幣原外交)。

        >日本人は
        (以下)
        日本とアメリカの国民を入れ替えて戦ったら、アメリカ(日本人)が史実以上に圧勝すると思うんですよ。
        アメリカは、戦前には半年で勝てると思っていたんですって。国力差からそんなもんでしょう。3年8ヶ月も粘った日本は異常です。(半年で負けていたら、「日本人論」なんか出てこない。国力差で終わり。)
        日本人だって、兵站の重要性も国民の命の重要性も常識として分かっています。でもね。「貧すれば鈍す」で物量に劣後する日本は全てのことはできないのです。
        基本的に、物量で上回る相手と同じことをすれば必敗なので、質(特に攻撃)に特化して勝ち続けるしかありません。でも、相手に真似されたら終わり。もう精神力などの個人の技量しか優位面は残らない。

        だから、
        >新しい技術を理解しなかった。
        これはない。国運を賭けた真珠湾攻撃に実績のない空母機動部隊を使うのだから。酸素魚雷や伊400型などもアメリカが開発していれば比較にならないほど絶賛されていただろうなと思う。(精度などの工業力が追いつかない面はあったが。)

        1. 私の視点で言うと、
          「新しい技術を理解しなかった」は、
          「技術者は、新しい技術を開発する事を楽しみ、新しい技術の開発に成功するけれども」、
          「政治家と軍の上層部は、新しい技術が【軍事全体にもたらす効果】を、理解し切れない」
          になります。

          つまり「戦闘は好きで上手」だけど「戦略はあまり考えなくてヘタ」で「戦略と政略を結びつけるのは、すごく苦手」なのです。
          「プロパガンダ:国外・国内問わず」が下手なのも、その表れです。
          「何のために戦争をやるのか」を考えないから。

          戦争に踏み切るときに「勝利条件」を考えない。
          日露戦争に限りませんが「戦争の勝利条件」は「国民を納得させる事」ですが、日本の指導層は、そこまでは考えません。
          って言うか「勝利条件」を考えないのかも。

          「厭戦気分」は「大衆の側の軍事アレルギーの表れ」ですが、
          「勝利条件の無理解」は「指導層の軍事アレルギーの表れ」だと思います。

          ※「軍事アレルギーとは何か」を論じているので、こういう表現になります。私の用法では「軍事の意味をきちんと考えない傾向の強さ」です。

          近代以降は、「戦争」に「勝ち」は無いのです。
          戦争とは、壮大な無駄遣いですから。
          戦争が現実化する事は「【政略的には】両当事者の負け」です。
          「軍事的恫喝・威圧」によって「外交を優位に進める事」に「軍事の意味」が在るわけで。

          外交は、なるべく「コストをかけずに」やらなければならない。で、戦争は「もっとも高くつく外交手段」です。
          まず、そこを「理解するべき」なのです。

          それでも「高くつくのは承知で」戦争に踏み切るしか無い場合が生じます。
          そこを、どのように考えて「最適解」を見つけるか。
          それを、日本人は「やらない」。
          ただ「戦闘に勝つ事」を「目的化」してしまう。
          そして、戦闘に負ければ【全面的な敗北】と思ってしまう。

          言い換えれば「勝ち方・負け方」を知らない。
          この壮大な無理解を、私は「日本人の軍事アレルギーの表れ」だと思うのです。

          多分、近世に「異民族と戦争をした事が無かったから」です。

          1. とろいやさんの
            このコメントを読んでいて、原発事故の時に言われた事を思い出しました。

            「日本は、ヴァイオリンを弾くロボット作っているのに、原発事故に対応するロボットはないのか?」

            戦争だけではない。
            言霊信仰のせいか、最悪を想定していないのではないでしょうか?

          2. >「日本は、ヴァイオリンを弾くロボット作っているのに、原発事故に対応するロボットはないのか?」

            原発事故で恐れられたのは放射線です。
            そして、ロボットに使う電子回路(IC)は放射線に対して非常に脆弱なのです。
            ヴァイオリンを弾くロボットに使うような最新の高機能の汎用 IC は使えません。古い技術の大きくて低機能で高い特注の IC が必要です。原発事故の環境の再現も難しいので、簡単にテストもできません。

          3. >「政治家と軍の上層部は、新しい技術が【軍事全体にもたらす効果】を、理解し切れない」

            日本は、世界最強の戦艦である大和級を持ちながら、空母機動部隊を発想してそれに国運を賭けたのですよ。
            その結果、戦艦は戦略兵器の座から下ろされ、その発想が取って変わりました。大鑑巨砲を極めた者が、理解した上でそれに終止符を打ったのです。
            その他、(遅すぎたし技術は拙いけれども)伊400型潜水艦は戦略原潜の、風船爆弾は大陸間弾道弾の発想と同じです。

            本当は、こうした戦略兵器は「使わずに」抑止力にするのが正しいのですが、実績がないと抑止力になりません。当時のアメリカは日本を舐めていましたし。だから、決戦兵器として使うしかなかった。
            ドイツも似たようなことをしています。こういうのは、従来のままだと国力差で勝ち目がない挑戦者側がやるものなので。大国側はゆっくり真似ればいいので。

            太平洋戦争の戦前って、国力で十倍する仮想敵国が日本を潰す意志を持って圧力を掛けてきたという状況です。衝突は地政学的に必然で、人種差別と異教徒差別(日本の同類はいない)のおまけ付き。どうします?
            中国・満州や東南アジアからの撤退は、外堀を埋められた状況になるだけです。
            戦争回避には、史実の戦後の体制「対共産主義の日米同盟」を前倒しするくらいしか手が無い。(でも、アメリカ上層部は共産主義者が跋扈していた。)

            史実では、「アメリカの日本を潰す意志」を挫くために、日本を潰そうとすると痛い目に合うことを理解させようとした。しかし、日本は舐められていたので、実績がないと理解してもらえない。だから、実績を作ろうとした。
            「勝利条件」は「日本を潰す意志を挫くこと」で、太平洋から米軍を駆逐した(実際に一時的に稼働空母0まで追い込んだ)上で、米軍が再建されるまでの間に対ドイツ戦で余力がない間に講和することを狙った。
            そらに失敗してからは、日本(国、軍)は諦めて、国体(天皇、民族)を潰す意志を挫こうとした。それが、沖縄・硫黄島の激戦や特攻。結局、アメリカが本土決戦はしたくないと理解したこととソ連参戦により終戦。

            アメリカの民主主義を過信して、アメリカ政府(F.D.R.)の意志=米国民の意志と誤認したのは大きなミスだけれども、米国民にプロパガンダするのは無理だっただろうと。日露の時は、ロシア”も”嫌われてたから有効だったけれども。

            無理ゲーなんですよ。「勝利条件」への道筋がない。「自力」ではどうにもならない。みなさんや私程度のことは分かっていて、それでも足掻くしかなかった。
            良くも悪くも日本人らしい足掻き方はしているけれども、決定的要因にはなりえない。

        2. mottonさんへ

          3点、反論というか、補足します。

          >>普通は、庶民には無理だと最初から諦めて、戦時には Imperator が独裁をするのです。

          >>日本人はね、全体を見渡せる人がいても、その人が当たり前に上に立てない構造がダメ。

          これ、同じ事を言っている筈です。
          日本人は、非常時にも、平時のやり方を維持してしまう。
          東日本大震災の時に強くそう思いました。
          まあ、あの時は民主党だったので、というのもあるでしょうが。

          >>基本的に、物量で上回る相手と同じことをすれば必敗なので、質(特に攻撃)に特化して勝ち続けるしかありません。

          ここは違うと思います。
          日本人は元々「防御」概念を持たない。持っていても非常に薄いのだと思います。
          だって、盾を持って戦わないじゃないですか。
          兵站だって、日本国内でしか戦ったことのなかった日本人は、外国でそれは理解出来ていなかったと、やはり思います。

          あともう一点はこれ。

          >>新しい技術を理解しなかった。

          ちょっと説明不足でした。
          一次大戦の時点で、戦争のやり方が大きく変わったのを、理解出来ていなかったと思うです。
          理解したのは、ノモンハンでぼろ負けした時じゃないでしょうか?

          1. >日本人は元々「防御」概念を持たない。

            そんなわけないでしょ。
            WWIIの世界の戦艦の中で最も重防御なのは大和級です。
            基本的に兵器には自分の攻撃力にギリギリ耐える防御を持たせます。「矛盾」が合理的なのです。
            でも、攻撃も防御も高めると重くなって機動力が削がれて、攻防共に悪影響がでます。だから、装甲を削って機動力で攻防を上げる場合もあります。ゼロ戦とか。
            その兵器の使用目的に対して合理的なバランスが重要です。

            >だって、盾を持って戦わないじゃないですか。

            鎧・兜があるじゃないですか。両手で槍か日本刀>片手剣+片手盾と判断されたからそうなったわけで。
            命を賭けて戦うのだから、盾を持った方が強い(生き残れる)なら、みんな持ちます。持たないのには合理的な理由があります。なのに、「概念」で説明した気になるから「日本人論」は嫌なんです。

            >一次大戦の時点で、戦争のやり方が大きく変わったのを、理解出来ていなかったと思うです。

            第二次上海事変で、WWIの戦訓から作られたドイツ製の武装&戦争計画の国民党軍の大軍に圧勝できるくらいには理解できています。

            >理解したのは、ノモンハンでぼろ負けした時じゃないでしょうか?
            ノモンハンは戦略的にはソ連の勝利ですが、圧倒的な火力の差にも関わらず死傷者はソ連が多いのです。(ぼろ負けの印象は、ソ連のプロパガンダと私怨に囚われた司馬遼太郎が原因。)
            それまでソ連の実力を見誤っていて、圧倒的な火力の差を生んでしまったのは反省材料ですが。(反省したところで、国力差がある上に、日本は対米=海軍重視だから対応できないという…)

          2. >日本人は元々「防御」概念を持たない
            「戦術」という観点では、mottonさんが言うように「防御の思想」は有ります。
            盾を持たないのは、日本の前近代においては「相手も同類なので、どういう攻撃が来るか分かっている」のが「いくさ」だったから、ではないでしょうか。
            「相手がどう来るか分からない」場合は、盾を持ちたくなるのでは。

            で、視点を変えて「戦略」という観点にすると、cieさんの「防御と言う概念を持たない」が、意味を持ってきます。
            日本人は「異民族との戦い」は「外に出てやるもの」だと思っていて、【国家・民族としての防御】は「海に頼り切り」だったのです。
            海を越えてやってくる異民族からは「海と神風」が護ってくれると信じている⇒国としての防御を考えたことが、あまり無かった。
            本気になったのは、白村江で負けて、北九州に防塁を作ったときぐらいで、その後、忘れていた。
            モンゴルが来て「本気にならざるを得なくなった」けど、百年ぐらい経つと、忘れた。

            で、幕末に慌てたわけです。
            そして「お台場あたり」に「大砲みたいなもの」を並べてみた。ダメだよな、そんなんじゃ。

            その後、海軍力が向上すると、また忘れました。
            今も「忘れたまま」じゃないかな。

          3. 江戸時代の平和は、かなり「鎖国のおかげ」でしたが、
            なぜ「鎖国」が外交政策として成立したのか?

            これは多分「武勇を示すのが有効だった実例」だと思います。
            16世紀以降は、西欧列強がどんどん「侵略国家度」を強めていく時期です。
            しかし、16世紀初頭には、日本が「世界最強」でした。
            戦術面の優秀性を存分に発揮していたわけです。
            ゆえに、西欧の諸勢力は「来航を制限する」と言われれば「それでもこじ開けてやる」という選択は出来なかった。

            しかし、泰平の世を謳歌する中で「この泰平は、前世紀の武勇誇示の効果」という意識が無くなってしまったのでしょう。

            民衆はしょうがないけど、ね。
            「為政者レベル」では問題でした。
            そして「海が護ってくれる」という意識に逃げた、というのは、有ると思われます。

            同時期に、李朝も「鎖国政策」を採っていますが、こちらは「軍事も政治も、大清帝国に丸投げ」の体制で、他の国に相手にされなかった、と見ても良いような…最強の敵・日本は、列島から出て来ないし。
            中華のぬくもりの中で、安穏としていたのです。
            「ああ、あの頃は…幸せだったニダ…」

          4. >鎖国
            対キリスト教(カトリック)が主で、中国とオランダ限定の管理貿易。
            情報は中国とオランダ経由で結構つかんでいて、ペリーが来ることも計画段階から知っていました。(オランダがナポレオンに併合された時、知らないふりをしてあげた^^とか。)

            >その後、海軍力が向上すると、また忘れました。

            海軍こそが島国の「防御」ですよ。軍艦は「海上を移動する城」です。
            蒸気船により海を越えて日本への侵攻が可能になりました。(帆船レベルでは日本はおろか朝鮮も落とせない。)だから、海軍で「防御」することが必要になりました。その理解と対応の早さは世界でも有数だと思いますよ。

            ただし、当時の蒸気船では大量の陸軍は送り込めない=直接統治はできないので、それができるロシア(シベリア鉄道)の方が怖かったのですが。(ロシアに日本本土侵攻の意志はなかったとしてもリーチは掛けられたくない。)
            欧米にも日本侵攻の意志は別に無いんです。貿易には期待しているから(侵攻するつもりなら邪魔になる)近代化に協力してくれたわけで。
            欧米や日本の対中国も同じで貿易がしたかったのです。ただし、日本と異なり「法」があまりにも違うから、自分たちの「法」が通じる租借地を必要としたのです。(日本人は、租借地を植民地(領土)だと考える傾向が強いようには思います。)

            海洋国家の「防御」に関しての日本の問題は、
            通商防衛の意識が低かった。
            (イギリスですら、U ボードに最初の頃はボロボロにされたのだから、外洋に出てからの日が浅い日本には厳しい。そっちに回せる金・資源もないし。)
            抑止力の思想が弱い。
            (決戦で雌雄を決したいというのがちょっとある。アメリカにもある。日本の場合、無意識下で抑止力を演算しているので思想になっていないのかも。)
            というのがあるとは思います。
            戦後は、アメリカと同盟することで補っているわけで、分かってはいるんですが。

          5. >>みなさんや私程度のことは分かっていて、それでも足掻くしかなかった。

            ここまでで分かる通り、私は軍事にも戦前の歴史にも、そこまで詳しくないので、「みなさん」として貰ったのが心苦しい限りですが、もう少し私らしく足掻きましょうね。

            ここまでで納得し切れない事が、3点あります。

            1点目、原発事故の話し。

            ロボットの発言をした人は、
            何も「ヴァイオリンを弾くロボットを、事故処理ロボットに転用しろ。」という意味で言ったわけではないと思うのです。
            太平楽用の技術がこれだけあるのだから、リスクマネージメント用の技術も、同じぐらい準備されているだろうと思ったら「なかった」ので、ビックリしたという意味でしょう。

            もちろんmottonさんも、それは分かっていて書かれているだろうとは思うのですが、私はやはり日本はリスクマネージメント ( 防御 ) に対する考えは、甘いと思うのです。

            以前「いじめ」について ( ここでではない所で ) 話していた時の事なのですが、
            『「いじめ」はダメ。だから無くそう』では無くならない。ヒトの性質、脳の構造上「いじめ」は必ず起こる。』と想定して、はじめて対処が可能になると思うのです。
            しかし、忌避感強すぎるのか「必ず起こる」ということを前提条件としての議論にまで、持って行く事ができませんでした。

            とろいやさんが、ツリーの最初のコメント仰っているように、
            >>「それを考える事自体を、倫理的な【悪】と思い込む」
            でいる、としか思えないのです。

            原発事故も同じで、『事故は起こる』と、想定されていたとは、どうしても思えないのです。

            >>原発事故の環境の再現も難しいので、簡単にテストもできません。

            それはそうです。
            でも同じように再現できない、宇宙航空技術は?
            一旦飛び立ったら、トラブルがあってもどうにもできない。だから、想定外の事が起こるのは当たり前で設計するしかない。
            と、JAXA の偉い人が言っていましたよ。

            今、福島事故処理でそれをやってる。と言われればそうかもしれませんが、「防御」の考えはやっぱり弱いんじゃないかなあ。
            まあ、事故処理は心躍るような技術ではないので、なり手は多くないでしょうが。

            長くなってしまったので 、後の2点はまた明日にでも書きましょうね。

            ただ、( 自分が ) 忘れそうなので w 予告しておくと、
            ⚫︎国民 ⚫︎民間船接収
            の2点です。

          6. なぜ「鎖国政策の200年間の成功」を例にとったのかと言うと、それが「上手く行きすぎた」から、です。

            これによって、日本人は三重の陥穽に堕ちました。
            1、海が防壁として「完全である」という誤解。
            2、一度武勇を示して見せれば、誰も自分たちを「侵略しに来ない」という誤解。
            3、外交・軍事ともに「最低限で良い」という誤解。

            私が述べようとしているのは、「1、2」と「3」を裏返して結びつけるのが「国家として最も重要な仕事である」という意識が希薄になってしまった事です。
            戦国時代末期には「高いレベル」で「国家としての軍事力の充実」が出来たのですが、大陸進出の失敗で、それ以上はやらなくなった。
            「これだけやったんだから、もう充分だろう。いくさの事は、もういいや」という誤解。
            鎖国による平和で「もう、いくさはいいや」が「全日本人を支配してしまった」。
            まあ、当然ですけどね。
            戦争なんて、やらない方が良い。

            でも「戦争になった場合の備え」を怠ってはならない訳で。ところが「怠るように」なりました。
            それが「軍事アレルギーの表れ」です。

            「軍事」とは「政略と常に結びついていなければならない」
            「軍事」とは「これだけで充分」という限界が無い。
            「軍事」とは「常に要素が流動的で変化し続ける」。
            これらを「常に頭脳の限界まで考える」のが「為政者の仕事」ですが、江戸幕府は、それを怠るようになりました。
            ※本当は「けっこう考えている」んですけどね。「充分以上」が「常に必要」なのに「八割方のレベル」にも達していなかった。

            明治維新の後も「これで充分」の意識が、何かの折に頭をもたげて来ます。
            「海に護られている、これで充分だろう」
            「海軍力が充実した、これで充分だろう」
            「平和憲法に護られている、これで充分だろう」
            だから「軍事に振り向ける意識は、最低限で良い」と考える。
            そして「外交と内政と軍事を、複合的に考えない」。

            ところが、そういう状態で「日清・日露の成功体験」によって「戦争とは何かをきちんと考えないまま、軍備だけは大国になってしまった」。
            今も、そういう「戦争をきちんと考えない傾向」が強いまま「軍備だけは大国」です。
            それを、私は「軍事アレルギー」と表現してみたのです。

            もちろん、これは「一般的な傾向」であって、「分かっていて、きちんと考えた人」はいます。
            しかし「傾向」として、世界標準から見ると「かなり平和ボケに近い」と思います。
            「日本人は【平和ボケでいるのが好き】なのです。【平和ボケの状態で、戦争ごっこに興じていたい】。
            「人の営みのすべてが、いくさに絡む」という事を、意識したくない。その傾向が「かなり強い」。

            ゆえに「いざ大決戦」となった時に「上手く負ける」が出来ないのでしょう。
            「勇敢に戦場に臨む」と「戦争ときちんと向かい合う」は、違います。前者は後者の要素の一つでしかありません。しかも、それを「主要素」にしてはいけない。
            「どうすれば上手く負けられるか」も、重要な「軍事思想」なのですが。
            「負けたら、死んでお詫びする」という所までしか考えないのですね。それは「戦術的思考」でしかない。
            つまり「そこまで行ったらダメ」です。「そうならないように、どうするかがすべて」なのですから。
            しかも「敗戦処理」としても、それじゃダメなんですが。

            「軍事」を「穢れ」と考える、というのも有ります。
            その「穢れ」を招くまいとして「考えない」という「言霊思想の変形」も有ります。
            それが、次の論点ですが、もう少し話をこのまま続けてからにしましょう。

          7. >>ゆえに「いざ大決戦」となった時に「上手く負ける」が出来ないのでしょう。

            二次大戦当時にこれは無理でしょう。
            当時、日本人は、
            アジア各国が植民地にされているのを、目の当たりにしているのです。
            白人種による有色人種差別を、身をもってビリビリと感じていた筈です。

            いくらアメリカが「奴隷にはしない」と言い、それが本気だったとしても、とても信じられるものではありません。

            「死ぬまで戦う。」
            は日本人の性向というよりも、あの時代、白人種の中で足掻いた唯一の有色人種としての答えだったと思います。
            そしてそれは、間違っていなかったと思います。

            あそこまでやったから、今がある。
            それは、確かだと思います。

          8. 「負け方が下手」というのは、
            「破滅的な敗北」だけじゃありません。
            「第二次大戦の戦後処理の下手さ」を言ってます。

            「死ぬまで戦った効果」は、認めます。
            でも「死なない程度に戦って、そういう効果を得る」方がベターだと思います。
            それには「外交とプロパガンダ」を組み合わせるべきなのですが、それだけの力量が日本には無かった。
            「国際環境が、それを許さなかった」と考えれば「しょうがない」という結論になります。そこは同意するしかないですかね。

            考えてみると「勝ち方」も、下手ですね。
            「後腐れなく、損失を最小限にする負け方。後腐れなく恨まれない勝ち方」が、出来ないものかなあ、と。

            まあ「戦争になった」時点で、無理ですかね。
            ナポレオン戦争の処理の際のフランスのようには、なかなか行きませんか。

          9. あと、
            >>「負けたら、死んでお詫びする」
            というのは、日本人同士の戦に於いては、「上手い負け方」だったと思うのです。
            殿様 ( 為政者 ) の命一つで、領民は助かるのですから。

            都市そのものを、「城壁で囲む必要」のなかった日本人同士でしか通用しない、「上手い負け方」です。

            南京大虐殺を簡単に信じてしまうというのは、自分達も「やる」という事です。
            そんな相手に「上手い負け方」はないと思います。

          10. 日本人同士なら「潔く死んで見せれば良い」のです。
            元々、価値観が同じ者同士が、「小さな利害関係(当事者にとっては重要だけど)」によって、敵対して小競り合いしているだけなので。

            私が「戦争」と言ってるのは、それより大きな「民族の滅亡・少なくても興亡」がかかっているような規模です。
            つまり、日本人は「民族の興亡」の観点に立って「戦争を考えること」が苦手。

            白村江と元寇しか「実例がなかった」ので、しょうがないです。
            それと黒船のときぐらいしか「それを感じたこと」が無かったのだと思います。
            白村江は「唐と新羅が対立したので、日本まで戦禍が及ばずに済んで、一段落」。
            元寇は「本当に滅亡をかけた戦争になった」けど、滅亡せずに済んだ。それを「神風のおかげ」とカン違い。
            黒船は「アヘン戦争」という実例が隣国で起きた直後だったので、「民族の興亡」を意識したでしょう。実際の戦争は日清・日露まで持ち越しでしたが。
            1850年頃~1920年頃までが、ワンセット。

            まあ、経験不足だったのが「明治維新以降、百戦錬磨の欧米諸国と、戦わなければならなくなった」のです。
            この過程で「軍事に関する思想の不在又は未熟」が「マイナスに働いた」と思います。
            もっと上手く立ち回って、欧米に「東洋人は、やはり政略のセンスが高い」と思わせたかった。
            そうすれば、欧米人の「東洋コンプレックス」を、こちらに有利な形で利用できたでしょう。

            でも、そういう力量は無かったのですね。
            東郷元帥が言ったとおり「暴れて見せる」しか、無かった。

            それは「国際状況が然らしめたもの」では有りますが、「日本が政略と軍事の関連性に鈍感だったせい」も、やはり有ると思います。
            その「鈍感」の源は「日本人が軍事と関わる事を忌避する傾向が強いから」だと思います。

            「優秀な日本人だから、そこまで暴れて見せる事が出来た」と「肯定的に評価することも可能です。
            それを踏まえて「もっと良い回答を出せなかっただろうか」と考えたときに「日本は国の指導者が【政略・外交と軍事】をきちんと連動させて考えているのだろうか」という疑問が起こる訳ですよ。

            「禅における道元」ぐらい「密教における空海」ぐらいのレベルで「政略と軍略」を考察して、日本全体の「国家としての在り方」に寄与するような思想家が、出ても良かったんじゃないかなあ…出てないよな…どうしてだろう?
            その答え(仮説)が「日本人は【いくさ】を【戦闘】としか考えない」から。なぜなら「ずっと、それで済んで来た」から。

            大陸の「常住坐臥=政略=外交=軍事」とは、決定的に差が有ります。
            少なくとも「指導層レベル」では。
            まあ、そういう事です。

          11. 日本の戦後処理って、そんなに下手っぴいでしょうか?

            mottonさんも言われていますが、結局は自分たちの欲しかったものを全て手に入れて、大好きな太平楽を享受できているのだから、上手くやったと言えるでは?
            沖縄だって返還されましたし。

            逆に、外交と戦略の組み合わせで、「これは見事!」というような事例ってありますか?
            戦術なら、いくつか思いつくのですが。

          12. 私の「日本人の軍事アレルギーの話」は、「有るべき理想の姿を思い描いて、現実はそうじゃないという事に怒る」まるで「朝鮮論法」みたいなものだと、割り引いてください。

            それを踏まえて言いますが、公平に見ても、第二次世界大戦当時の日本は、「戦争の終わらせ方」も「戦後処理」も、下手だったと思いますよ。
            一言で言えば「いさぎよ過ぎる」。

            欧米人の【残虐性】とロシアの【侵略志向の強さ】を、甘く見ていたんだと思います。
            特亜の【戦勝国気取りの図々しさの長期化】も、これほどとは思わなかったんじゃないでしょうか。
            日本人には「発想できない」わけです。

            原爆もソ連参戦も「実質的に、日本が降伏の意思を表示してから」です。そういう「敗北を受け入れた者に、さらにムチを加える」という卑怯なマネは「一人前の国家」がやるとは思わなかったのでしょう。

            戦後処理も「多くの正当な領土」を失いました。
            「憲法を変えられる」という内政干渉もされました。
            「こんな条件では、また戦うしかない」という他の国なら普通に考える「抵抗」を、全然示さなかった。
            そういうのも「発想できなかった」のでしょう。

            その「発想できなかった理由」を、考えているのです。
            日本人には、軍事に対して「どこか甘い」ところが有ります。
            「どんな手段でも用いて勝たないと、民族ごと滅びる」という経験が浅いから、だと思うのですが。
            第二次大戦の敗北は、そういう日本人の「原始的な厭戦志向」を変えませんでした。
            「今回は負けたけど、ダメだった点を反省して改善して、次は勝とう」とは思わなかった。
            「やっぱり、戦争なんて、やらないのが一番」に、逃げてしまいました。
            今でも、それが続いています。

            まあ、そうはいっても、史上「戦争に上手く負けた」という例は少ないですね。
            ですから、私の想いは「無いものねだり」に近い。
            あえて言えば、先にも挙げましたが「ナポレオン戦争の後のフランス」ぐらいでしょうか。

            アジア・アフリカ諸国の独立戦争の後の「旧宗主国の戦後処理」も挙げて良いかも知れません。
            日本は、どうかと言えば、ご承知の通り。下手ですよね。

            そうはいっても、この「いさぎよ過ぎる」とか「交渉が下手」とかを「自覚」して、むしろ「そこを売り物にする」のなら、文化戦略として成立すると思います。
            でも、多分「そうじゃない」。
            それが「ふつう」だと思っているのでしょう。

          13. ええ?
            師匠、これズルいヤツやん。

            >>「今回は負けたけど、ダメだった点を反省して改善して、次は勝とう」とは思わなかった。

            勝ってどうするんですか???
            大体なんのために戦ったかっていうと、防衛ですよね?
            日本人は日本列島さえあればいい、と本質的には思っているのだから、勝ったところで。。。
            勝ったらまた、待っているのは、蟻地獄のような大陸原理でしょう。

            私は負け方で言ったら、やはり悔しいのは、民間船を接収しておいて、バカスカ沈められた話しです。
            「物量で劣るから、攻撃に重点をおく。」と言われたって納得出来るものではありません。
            次があるなら、言いたい事は「民間船を接収したならちゃんと護衛しろ」です。
            「護衛もできないなら接収するな」です。
            結局、船は沈められて、物資は届かないんだから。
            こんなの無駄死にもいいところです。

  5. 今さらながらで失礼します。
    とろいやさん、mottonさん、cieさんの会話?ですけど、まじめにこの手の話を読むのは初めてだったので、新鮮でした。私の理解ではここまで詳細に考えたこともなかったので、シロートなりに少しだけ燃料(だったらいいな)を投下させてください。

    で、もともとの話を蒸し返すことになりかねないのですが、ここで会話されていることは「戦争論」とか「戦略論」とか言える話ではないでしょうか。そういう学問を考えるのは、防衛大学校にはあるでしょうが(なかったら…)普通の大学にだってあっても良いと思うのに、見事に見当たらない…。
    たぶん一昔前では「そんなことを考えるなんて、お前は戦争を望んでいるのか」と言われた可能性が高いです。実際はそんなことを極めようとするのは戦争回避のためなんですけどね。特に現代では戦争のコストが高すぎて、外交の一手段として戦争することは、ほぼ不可能に思えますが考えておかなくてはいけないことでもあると思うのです。

    もう一つは日本人特有の「穢れ」の考え方です。みなさんお茶碗とお箸は自分のものが決まっているのではないでしょうか?
    怨霊もそうですが、武士には関係ない世界だったかもしれません。でも源平の頃から室町幕府と戦国を経て徳川の太平の世が来るまで、幕府があっても世の中は太平じゃなくってケンカばかりしていたように思えるのです。なんで源氏の将軍が三代で終わったのかとか、なんとか騒動がアレコレあったけどとか、室町幕府だって成立後の兄弟げんかとか、六代将軍暗殺事件とか。そういうのを経て徳川幕府時代になるとホントの平和になってしまった。そうすると武士だって軟弱化すると思うのです。引き合いに出したいのは山田浅右衛門。劇画で有名な「首切り朝」のことです。これ個人名じゃなくって世襲の「役職名?」のようなもので、本来は刀の切れ味を吟味する役だったと思いますが、吟味するために罪人の首をはねていたわけで。何が言いたいかというと、文字通り血を見る穢れ仕事は浅右衛門に任せよう(自分はかかわらない)だったと思うのです。
    これしつこかった部落差別問題(もともとは職業差別)にもつながっているんですけど。

    いきなり乱入して申し訳ありませんが、日本人は理性だけで行動しているわけでもなく、誰かに扇動されたらそこになびく分けでもなく、何らかの行動基準みたいなものがあるのではないかと思って書き込みました。

    1. 死刑執行人が世襲なのは、珍しい話しではないのです。

      フランスやドイツ、オーストリア、確かイタリアも世襲でした。
      サウジアラビアは、今でも世襲の死刑執行人が、バカスカ首を切っていますよ。

      ただしヨーロッパでは、日本と同様穢れ仕事ですが、サウジアラビアでは神聖な仕事です。
      穢れにしても、神聖にしても、「我々とは別」という差別意識の顕れだとおもうのです。
      人の首を斬り落とすのは、技術も要るし、やはり色々とシンドイ仕事だと思うのです。

      だから、日本よりも寧ろ、執行人を一般公募していたイギリスのほうが特殊かと。w

    2. あとね、アマチュアさん、

      >>みなさんお茶碗とお箸は自分のものが決まっているのではないでしょうか?

      私が子供の頃、ウチでは、昭和の大衆食堂にあったような箸立てに入った箸を、無作為に使ってましたよ。w
      家族なんて、直箸でおかず取るんだし一緒だったんでしょうね。
      昭和の頃の底辺近くの家庭って、そんなんだったんちゃうやろか? w
      ウチだけ?

      1. cieさんへ

        箸と茶碗の話からすると、我が家でもcieさんと同様の環境でした。茶碗も同じ。山仕事のまとめみたいなところだったので、それらを使うのも家族だけでもなかったし。なので結婚して違うという面が多々出てきて、でもそれは日本人が持つ穢れというモノの感じ方によるのだと知りました。これは部落差別問題(今はほぼ死語?)と似ていて、先に職業差別だと言いましたが、あれは皮革職人とかが差別の対象だったんですね。武具や太鼓などには必須なのに、死穢に触れるという意味でそれを扱う人が差別されたと。ちなみに東日本ではこの差別はあまりありません。きついのは西日本。ついでに言うと死穢を昔の人がどれだけ恐れたか。昔の人で言うと中世まで墓というものが記録とともに残っているのはほぼ皇族で、例えば藤原道真の墓がどこにあるかはわからない。藤原家くらいなら遺体を始末する場所はあったはずで、そういうところが化野だったりするのかなあという気もします。

        もう一つ、首切り朝を例に出してしまいましたが、私としては江戸の太平の世の中で、のほほんと暮らしていた日本人、特に武士階級(=役人階級)はさすがにそれなりの教育を受ける機会は多かったにしても、幕末になってあんなにいろんな才能がいっぺんに出てきたことが不思議なのです。村田蔵六=大村益次郎なんか最たるものでしょう。彼はただの村の医者だったんですけどね。首切り朝を出したのは、本来穢れなんか恐れないはずの武士階級だって、平和だったらフツーに恐れるようになるってことを言いたかったのです。

        1. cieさんへ(追加)

          で脱線しているのを元に戻すと、日本人と軍事、あるいは戦争の話では、先に皆さんが論じられていたように、事実と、理性的な判断の基準と日本人がやったこととその結果を検討することは大いに賛成で、というかこのスレだけでもたくさん勉強させてもらっています。
          でも日本人の感性というか、理性的でないのに判断にかかわってくるものもあると思います。穢れ以外でも霊魂や言霊の存在もあると思います。いくつか挙げてみると、
          ・明治維新の際に、讃岐の地に眠る後鳥羽上皇の霊(最強の怨霊!)に京に戻ってくださいとお願いしたこと(勅命で!=政治行為として!)
          ・太平洋戦争が始まる前、(多分ですけど)アメリカから「中国大陸から手を引け」のレベルの要求があったと思うのです(みなさんご存じかも)。もしそれがあったとしたら、時の指導者としては(国民への言い訳はともかくとして)「散華された英霊に申し訳がないから受け入れない」という感覚にならなかったのか
          ・近いところでは東日本大震災で、福島原発が浸水被害を受けて甚大な被害になりましたが、そもそも浸水で電源喪失の可能性を指摘した人がいたという話があって、でも「そういう想定は考えない」と言われたのでは?(悪い予想が的中しては困るから明文化しない=ホントならまさに言霊の信者!)

          私は世界史レベルではもの知らずに等しいところがあって、でも人が国や民族の運命を決めかねない刹那での判断をどうするのかは、理性だけでは判断できないような気がするのです。
          先にあったように「潔すぎる」にしても「処理が下手」にしても、なんでかから考えてみたいのです。そこが日本人論になってくるような気がします。」

  6. ツリーが伸びて、書き込みにくくなったので、改めて。
    >これ、ズルいヤツやん…。勝ってどうするんですか?

    cieさんのこの反応が、「政略(外交)と戦略と戦術を、関連させない、日本的発想」の表われだと思います。

    第二次大戦の結果は、日本人の「発想の限界」を打ち破るチャンスでもあったのですが、それを「軍事アレルギー」が阻んでしまった。

    「戦争に勝つ」というのは「第一段階:国益に関する自国の主張を、力づくで通す、という結果を得る事」です。
    「第二段階:利害が対立する相手に、力づくで通す、をされないで済んだ、という結果を得る」
    ここまでが「勝ち」です。

    ところで、近現代では「戦争になったら、被害が甚大で、費用も甚大で、国益も何も吹っ飛んで、ワヤになる」ので「敗者は惨敗、勝者も得るモノが無い」という結果になりますね。

    ゆえに「軍事」には「戦争の抑止」が、まず求められます。
    次に「いざ戦争、となった時に【戦略的敗北】を避ける」が目的になり、平時から「そういう場合の備え」をしておかなければなりません。
    そして、常に「外交」が「軍事」と連動していなければならない。
    逆も真なりで「軍事」が「外交」を支えていなければならない。

    こういう事を、あまり深く考えないまま、日本は第二次大戦に突き進んでしまった。
    大戦末期には「何のために戦争しているのか」が全然分からない状況だったと思います。
    「皇国の興廃」がかかっている、と叫んでいるのですが「何が興廃なのか」分からないまま。

    で、明らかな惨敗を喫したのだから、
    「どこが悪かったのか」を反省して「次に備える」べきだった。
    ところが、それをしないで【「政略と軍事が連動する」という仕組みを放棄した憲法】を、後生大事に護っている。
    アメリカの謀略によって、日本人にそういう傾向が植えつけられた、という陰謀論に説得力が無いでもないですが、
    私は「元々、日本人はそういう傾向が強かった」という話を展開しているのです。

    「軍事」を「他の仕事と関連させまい」とするのですよ。「国政レベルでも、無意識に消極的になりやすい」。
    他の「帝国を築いた民族」を見ると「そういう傾向」は無いような印象を受けます。
    日本人は「そういう傾向が、突出している」のに「帝国を築いた」。それは、一時的にせよ「それを克服した時期」が有ったから、だと思います、中途半端ですけど。

    アマチュアさんの提示した「穢れの思想」は、その日本人の根底に有る「軍事への忌避感」の「重要な要素」を占めていると思います。
    もっと重要な要素は「地政学的に、ずっと、それで済んでいた」という「幸運」だと思います。

    1. 小ネタにすると、こういう感じです。
      覇権国:「勝ってどうするか、何が勝ちか」を、常に考えている。
      日本人:「勝ってどうするか」を考えないで、戦闘に臨む、強い。
      韓国人:「勝って威張る」事だけ考えてホルホル。勝った事無し。

      1. 私は、この先「日本的な思想」が、世界をリードするべきだと思うのです。もちろん「世界をリードするいくつかの考え方の一つ」として、ですが。

        逆説的ですが「日本的な思想」の内、「厭戦的な部分」は、特に重要だと考えています。
        他には「仕事に励むのが当然、という感覚・考え方」とか、
        「共同体の利益」を優先させながら「個別的である事を保持するための、人間同士の距離感」とか、
        「距離感を保つ前提として、他者を【ちゃんとした人間】と【まず推定する】こと」とか。
        「会話の端々にネタを入れて楽しむ」とか…これ、最重要。

        しかし、日本的なこういう思想が「世界に理解」されるためには、まず「日本人自身が、日本的な考え方を、理解しなければならない」と思うのです。
        日本人論が盛んなのは、日本人自身が「日本的」を理解し切れていない事の裏返しでしょう。
        日本人にとっても「日本的」を理解するのは大変なのです。

        大戦の敗北は「ちょうど良いテーマ」の一つです。
        大戦終結直後なら、しょうがないけど「今でも」なので。
        今からでも「考察」には意味が有ると思います。
        「実務的には」役に立たないかも知れませんが。
        この先「軍事」も「国際政治」も変わりますが、その変化に対応する時に「そういう事を考えた事が有るかどうか」は大きいと思います。

        私は、仕事を引退したら「日本的な考え方を考える作業」をライフワークにしようと思っていますが、まだその時期に至っておらず、資料の読み込みも、自分の考えの整理も不充分です。
        ゆえに、漠然とした雑談しかできません。

        それでも「誰かと話はしたい」。
        とりあえず「そういう事を語り合えそうな人たち」を探していたら、このブログにたどり着きました。
        「日本人の軍事アレルギーを考える」のは、その一環なんですよ。

        「今の日本が好きだ」は同感ですけど、「改善の余地」がたくさん有ると思います。
        とりあえず「生き残らなければならない」ので「誰もが【軍事も含めて政略を考える】のを【当然と思う】ようにする」のは、国民レベルの必修課題だと思います。
        その上で「なるべく戦わない」を選ぶのが「本物の…と言うか、実用的な平和主義」でしょう。

        なので、次は「何時頃から、日本人は軍事を厭うようになったか」と「日本人が軍事と政略を連動させていた時代」を、話したいです。
        ※あくまでも「そういう傾向が強いか、弱いか」であって、常に「考えられてはいる・考えている人はいる」のです。

    2. とろいやさん

      それは、今更過ぎると思うのです。
      この間も話したように、戦争のやり方はこの先変わって行きますし。

      それは、日露戦争後にやっておくべき事でしたね。
      二次大戦後は「やっと終わったぁ〜」が正直な思いで、みんな気が抜けてたと思います。生きるに必死だったかな?
      軍が解体された後すぐ、そんな事が出来るなら、かなりのクレイジーだと思いますよ。

      私は戦争に負けた、今の日本が好きだし、
      欧米人の【残虐性】も、ロシアの【侵略志向の強さ】も、特亜の【戦勝国気取りの図々しさの長期化】も、身を持って体験した、今だからこそ知っているのです。

      だから、この事を知っているのを前提に、当時をシュミレーションすることに、何の意味も見いだせません。

      それに私は、日本が日本であって欲しいのであって、覇権国家になって欲しいとは少しも思わない。

      日本の戦略というなら、日本人の在り方をコンテンツにして売ってるのが、それだと思っています。

      欧米人の在り方が、空に向かって高く高く伸びる大樹のようだとしたら、
      日本人のそれは、地を這うように広がる草の根だと思います。

      日本人が誇るべきは、政治でも軍事でもない。
      欧米人と同じ生き方をしたって意味がない。
      欧米人になりたい訳ではないのだから。
      日本人が日本人で在りたいなら、蔓延るべきです。
      日本人は死んでも死なない。
      何故なら、草ではなく、草の根が本体だから。ぐらいによ。w

      民族の性格は変わらないですよ。
      日本人は日本列島に似ているのだから。
      普段は穏やかでしっとりと豊かだけれど、プレートの沈み込み帯の歪みが限界に達するとブチ切れて大地震 ( マグマ溜まりのマグマが限界に達すると噴火 )

      ちなみに日本人がやたらと死穢を嫌うのは、湿気が多くて感染症が蔓延し易い環境だからでしょう。
      だから清潔にも拘る。
      清潔にしておけば、病気に罹り難いと分かっていたから。
      「穢れ」という概念によって、ウィルスを避けていたのだと思います。

      というのが、私の「日本人論」です。

    3. >大戦末期には「何のために戦争しているのか」が全然分からない状況だったと思います。

      アメリカの「戦争を止める」という意志を引き出すためです。
      戦闘停止後に虐殺しない・奴隷にしないという条件を引き出すためです。
      ポツダム宣言に「日本人民族を奴隷化したり、国家を滅亡させる意図は有さない」とわざわざ書いてあるのは、その可能性を互いに認識しているから。そして、口だけ(宣言だけ)ではなく、虐殺・奴隷化への抵抗力を理解させて、本心からでなくては意味がありません。だから、それまでは戦うしかない。
      戦っている相手が中国やロシアの場合を考えると分かります。「無条件降伏」するくらいなら最後まで戦った方がいいでしょ。
      アメリカだって、有色人種を虐殺し奴隷にしてきた(国内でも同じ国民相手でも当時そうだった)実績があるのですよ。
      # 最終的には、昭和天皇がアメリカを(ロシアよりマシだと)信じることで限りなく無条件降伏に近い形で降伏した。
      # それでも、連合国側の国民感情としては、日本人を助けるなという声(懲罰的飢餓=消極的虐殺を望む声)は結構あり、GHQ は放置するだけでそれが可能だった。

      ある意味で、アメリカが「悪い」のです。
      WWII までの外交・軍事で「欧米」と一括りにしてはいけません。アメリカは特異な存在です。日本以上かもしれません。地政学的に日本より「安全」なので。
      アメリカの独立戦争は「代表なくして課税なし」から始まりました。内政の論理です。そして、ヨーロッパとの相互不干渉のモンロー主義。外交そのものが嫌い。
      それでも、19世紀中期には中央集権の国民国家に作り替える必要がありました。(日本、ドイツ、イタリアの統一戦争と同時期なのは偶然ではありません。)
      それが南北戦争です。そして、南北戦争で「無条件降伏」が出てきました。戦闘停止後に虐殺されない・奴隷にもされない「内戦」だから成り立つもので、異民族に対してはありえないもの。
      その他、WWI 後の(WWIIの遠因になった)ドイツの賠償金や、民族自決(東欧・中欧限定だから人種差別は続行)、自身は未加盟の国際連盟など、アメリカが主導したものは、ろくでもない物が多いのです。(アメリカ政府が、日本人以上に田舎者のアメリカ人を騙しながらやって、なおこれ)。
      世界最強国が「無能な働き者」である悲劇であり「無垢な善人」である僥倖。

      >「どこが悪かったのか」を反省して「次に備える」べきだった。
      「どこが悪かったのか」=世界最強国と戦ったこと。
      戦前は、戦わないため(冷戦状態に持ち込むため)に超大国を目指したが、地政学的に困難があった(中国・朝鮮がこちらの世界的に文明的なら可能だったが)。だから、外交的自主性を失うものの世界最強国と同盟することで「次に備えている」。
      同盟国の戦争への派兵とか本音では嫌なものなのですが、憲法を盾にすることが許されたのは、アメリカが「良い奴」である上に、米中露とも日本の自主独立は怖いからこの状態を望んだため。あまりにも居心地が良すぎたのが問題。

    4. ここまでの議論を踏まえて、アマチュアさんが提示してくださった、

      >>人が国や民族の運命を決めかねない刹那での判断をどうするのかは、理性だけでは判断できないような気がするのです。

      を考えてみたいと思います。

      上に私は、3つ納得し切れない事があると書きました。
      ⚫︎原発事故については納得しました。
      ⚫︎民間船接収については、何を言われても納得いかないと思います。
      3つ目、「国民」と書きましたが、庶民と為政者についてです。

      私は、脳というものは、取ってしまった行動に、整合性のある説明をつけるための機関だと思っています。

      ジェームズ=ランゲ説はご存知かと思います。
      意識よりも身体反応の方が先に起こる。
      「悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しい」という説です。
      コップに手を伸ばしてから、水が飲みたいのだと思う間に、コンマ何秒かのタイムラグがあるのだそうです。
      身体が先なのです。

      それが積み重なる事により、行動がより理性的になって行くのだと思いますので、脳が整合性をつけるため「だけ」の機関だとは思っていません。

      その上で、mottonさんのコメントにあった

      >>アメリカの民主主義を過信して、【アメリカ政府(F.D.R.)の意志=米国民の意志と誤認した】のは大きなミスだけれども、米国民にプロパガンダするのは無理だっただろうと。

      なのですが、【】で括らせてもらった部分、本当に誤認なのでしょうか?

      私はこう思うのです。
      アメリカ人には、「民主主義」という枠が嵌まっている。
      その枠を取っ払うために、アメリカ人の集合無意識が選び続けたのが、F.D.R だと。
      集合無意識を体現した人物が F.D.R だったと。
      庶民は騙してもらう必要があったから、彼を選び続けた。
      もっとも、集合無意識など、証明は出来ませんけどね。

      それと私は、太平洋戦争の起こった理由は、パナマ運河の開通だったと思っています。
      大西洋と太平洋が繋がったから、「安心して」戦争を仕掛けて来たんでしょう。
      アメリカ人は、パナマ運河が開通するのを待っていた。

      後付けの理由は色々言われるけれど、本当はずっと単純で、「気に入らないから」なんだと思うのです。
      そんなもんなんじゃないかな?
      人間って一皮剥けばって。

      1. アメリカの成り立ちに基づくアメリカ人の集合心理には、2つあるかと思います。
        一つは、モンロー主義に代表される孤立主義。もう一つは、マニフェスト・デスティニー。
        ttps://ja.wikipedia.org/wiki/マニフェスト・デスティニー
        # 前者は旧世界からの自由(消極的自由、義務の放棄)
        # 後者は新世界での自由(積極的自由、わがまま)。

        F.D.R. が非介入(ドイツと戦争しない)を公約しているのに、戦術上の奇襲に拘って、ハル・ノートを米国民(米議会)に公開して米国民の意志を問うこともしなかったのは、やはり日本のミスかと。

        >民間船接収
        やらない → 可能性ゼロ。最悪、全員死ぬ。
        やる → 大きなリスクがあるが小さな可能性がある。
        戦争継続というリスク計算の式では、後者>前者なのでやるしかない。負け=民族消滅という可能性がある以上、リスク計算の式を変えられない。
        明日までに金を返せないと殺される人が、万馬券を買うみたいなものかと。

        1. 民間船接収について私が納得いかないのは、「護衛」の件で、「やる」「やらない」ではないのです。

          上にも書きましたが、
          「民間船を接収したならちゃんと護衛しろ」です。
          「護衛もできないなら接収するな」です。
          結局、船は沈められて、物資は届かないんだから。
          こんなの無駄死にもいいところです。

          >>明日までに金を返せないと殺される人が、万馬券を買うみたいなものかと。

          ダメじゃん。

          1. この場合、戦争継続のために「物資が届く」が勝利判定条件なのですよ。その時点での降伏は戦後の虐殺・奴隷化の可能性がありリスク無限大なので、その選択肢はありません。

            その前提で考えると、「やらない」と勝率ゼロです。
            「やる」と100回に1回かもしれないが可能性があります。その1回を初回にもってくれば勝てるわけで。

            「やる」と犠牲が増えるのはその通りですが、上の「やらない」=降伏の時の犠牲(の可能性)が大きすぎるのです。
            # 「やらない」場合の犠牲は直接因果関係がなく可能性のものなので見逃されがち。
            # 極論すれば、(朝鮮のように)戦わずに降ればその時点では犠牲はありません。でも、将来に大きな犠牲が生じる可能性があるから戦うわけで。
            # 「将来」を計算に入れて合理的判断をするのは、(歴史的に社会が安定しているので「将来」が約束されてきた)日本人が最右翼です。

            >ダメじゃん。

            ダメと理解していないわけがないんですよ。でも「やる」しかない。
            弱者が強者と戦う時、基本的にはこれの連続です。
            強者側は合理的な戦術だけでゴリ押しすれば勝てますが、弱者側は同じことをすると勝機がないので高リスク(非合理)であってもワンチャンある戦術をとります(とらされます)。多くの場合、失敗してボロ負けになりますが。

            >「民間船を接収したならちゃんと護衛しろ」「護衛もできないなら接収するな」
            これは、「そういう状況になるような戦争をするな(戦争においこまれるな)」でしかないんですよ。

            民間船接収を積極的に評価しているわけではありません。
            しかし、それを「非合理的だ(愚かだ)」と批判してもナンセンスで、同じ状況になればまた「やる」可能性が高いと言いたいのです。
            その可能性は日本人が一番高いのですが、それは非合理的だからではなく、(将来まで考慮すると)合理的だから。
            # 朝鮮人も合理的ですよ。日本人より近視眼的ですが、それが朝鮮の環境に対して合理的なだけ。(環境に対して非合理的なミームは死に絶えるゆえ。)
            # 問題の原因を人間の「愚かさ」に求めるのは最後でいいと思うのです。

          2. 民間船接収については、そもそも納得する気が無いのです。
            民間人接収 ( 赤紙 ) についても同じです。

            国家総力戦だった事は分かっている。
            同じ事が起こって、もしなんらかの必要で、自分が駆り出される事になったら、行く。日本人だから。
            日本人は戦う。
            それは分かっている。
            けれど、納得はしない。

            「軍事アレルギー」だから。

            『われわれが文明国たるためには、血なまぐさい戦争の名誉によらなければならないとするならば、むしろいつまでも野蛮国に甘んじよう。ー岡倉天心 』

            納得いかないのは、外的要因で戦わされるからですよね。
            。。。違うかなあ?

            振り出しに戻ったところで、纏まらないので、もうちょっと考えて仕切り直しましょうね。
            こういう仕事は、とろいやさんが上手にやってくれる筈。( 他力本願 w )

          3. >同じ事が起こって、もしなんらかの必要で、自分が駆り出される事になったら、行く。日本人だから。日本人は戦う。

            違います。
            「(子孫を残すのが存在理由である)生物だから。生物は(子孫が生き残るために)戦う。」
            普通は直系子孫のためだけ(これが顕著なのが特ア)なのですが、真社会性生物は社会のために戦います。そして、(特に戦前の)日本人は真社会性に近いから自分だけ逃げるという選択はしません。

            他人の財を奪う(侵略する)のも、自分(と子孫)の生存確率が上がるのなら正しいのです。少なくとも短期的には。
            そういう戦略を持つ異民族が群居しているため、自分もそういう戦略を取るしかないのが大陸。
            それによる争乱で共倒れになる(長期的に生存確率が下がる)ことをお互いに理解できて協調戦略を取れる幸運に恵まれたのが日本。(とはいえ、戦国時代とかどんだけ…)

            「共倒れ」という「答え」を知っているから、もう関心がない。これが「軍事アレルギー」なるものの正体。
            だから、有事にはそんなものは吹き飛びます。江戸時代の太平の世から一気に変わったように。

          4. >>「共倒れ」という「答え」を知っているから、もう関心がない。

            つまり、日本列島という袋小路で、100年殺しあって得た答えが「共存」。
            結果が徳川260年の太平楽。
            という事ですか?

            日本人は戦う。
            は言葉を補うと、日本人は「日本という自己」を守る為に戦う。です。
            私には、直系の子孫はいませんが、未来に良いものを残したい気持ちはある。
            日本が、例えば中国人に蹂躙され中国化するのは、好ましい未来とは全く思えない。
            だから、日本人は戦う。

            本能的に、集合無意識的に
            日本が日本で無くなるのは、世界の未来のために好ましい事ではないと知っているから。

            >># 「将来」を計算に入れて合理的判断をするのは、(歴史的に社会が安定しているので「将来」が約束されてきた)日本人が最右翼です。

        2. >>ハル・ノートを米国民(米議会)に公開して米国民の意志を問うこともしなかったのは、やはり日本のミスかと。

          これは、そう思います。

          ただ、私が問いたいのは、
          【アメリカ政府(F.D.R.)の意志=米国民の意志と誤認した】
          の部分。本当に『誤認』なのか? です。

          誤認と言えば誤認です。
          何故なら、= で結ばれるのは、
          アメリカ政府(F.D.R.)の意志=米国民の『無意識』だと思うからです。

          なので、ハル・ノートを公開するという行為で、米国民が無意識を意識することになったら、違っていたかもしれません。

          では、翻って、
          『日本政府の意思と日本国民の無意識』は、果たして = だったのでしょうか?

          私が思うのh、二次大戦当時の日本の「集合無意識」は、別のところにあったのではないかと。
          日露戦争当時のような、真っ直ぐに一つの方向を目指すような、つまり、
          『日本政府の意思=日本国民の無意識』
          を感じられないのです。

          何か曖昧模糊とした感じのまま、
          アメリカ政府(F.D.R.)の意志=米国民の『無意識』
          に引き摺られて、戦争に突入してしまったとしか、思えないのです。
          まあ、これが、弱小国の戦争なのかもしれませんが、
          日本は、戦争に勝つ度に、日本人の集合無意識が望む方向から、外れて行ってしまっていたのではないでしょうか。

          だから、負けを「望んだ」は飛躍のし過ぎですかね?

          もちろん奴隷になる事は、もっと望んでいないので、全力で戦いましたが、負けた日本は、望みの状態を手に入れている。
          それこそ、結果を知っているから言える事かもしれませんけど。

          ただ、
          エヴァンゲリオンのマギが侵食される回って、覚えていますか?
          知っている事を前提に話しちゃいますけど、
          あの回の映像で、最後の一コマを残して侵食が止まり、マギシステムと同化して、バッって反転して行くじゃないですか。
          二次大戦を考えると、いつもあの映像が出て来るんですよね。

          日本が最後の一コマっていうイメージなんでしょうけど、とろいやさんの仰った、

          >>私は、この先「日本的な思想」が、世界をリードするべきだと思うのです。もちろん「世界をリードするいくつかの考え方の一つ」として、ですが。

          に繋がると思うのです。
          「べき」とは思いませんが、そうなって行くだろう、とは思っています。

          逆説的ですが、だからこそ日本は負ける必要があったのではないか?
          相手を理解し取り込む為に。

          まあ、戯言です。

  7. cieさん
    >でも同じように再現できない、宇宙航空技術は?
    常にあって、ある一定のレベルで過酷なのが宇宙。実機を宇宙に出して失敗すれば次に活かせます。実際、商業的に成り立っています。
    ごく稀でレベルが(何桁も)桁違いで変わるのが原発事故。商業的に成り立ちません。研究室レベルでも、実際の事故での実機投入がほとんど望めないからなかなか難しい。

    >JAXA の偉い人が言っていましたよ。
    その人も日本人でしょ。

    >想定外の事が起こるのは当たり前で設計するしかない。
    真の想定外(宇宙人とか)は対応できないので、原因ではなく結果(被害の状態。一部の部品が壊れたとか)を想定して対応できるようにしておいて、現実に即して組み合わせて対応するということです。
    基本的に、リスクの被害と確率の積に応じて、その対応コストが決まります。致命的な被害がある場合は多重の対策をします(コストが何倍にもなるが)。工学の基本です。原発なんかその塊です。
    福島の事故では、地震で複数系統(5回線?)の外部電源を全て喪失、津波で非常用内部電源も喪失と2重の対策を越えられました。今から考えると、もう一重の対策が欲しかったと思うわけですが。

    多重の対策は平常時には無駄なコストなわけで「そこまでは大丈夫だろうから、もう一重の対策は必要ない」という心理がないとは言いません。ただ、それが必要にならないと金食い虫で責められ、必要になって上手く対応できて当然、不要と判断して失敗すると責められるわけで、結構辛いものなのですよね。
    事前と事後で以下の違いがあって、事後の人が事前の人を正当に裁けると思いますか?
    事前:多数の問題の中の一つ。確率が低く、いつ起こるか分からない。想像上の被害。
    事後:最も注目される問題。現実に発生(確率=1)。現実の甚大な被害。

    1. 変な所に食いついて申し訳ありませんが、
      「韓国レベルでの普通の人」って、
      「確率=1」と言われると、
      「そんなに小さいのか」と思いそうwww

      真面目な話を、ちょっとしておきますと、
      私が言いたいことは、
      「考える事」は、カントが哲学そのものの形式を変えたような事として、いつか結実するかも知れない。
      その結実をもたらすために、アマチュアであっても「考えてみること・考えた事を披露しあう事」は、意味が有る。
      なので「雑談」で良いので、日本人の「思考形式・思考バイアス・文化バイアス」を語り合うのはムダじゃない、という事です。

      他人の「深い思考」と「その前提としての知識」に触れるのは、楽しいですし。

      1. 日本人論はムダではないのですけれど、太平洋戦争や原発事故やコロナ疫は筋が悪いかと。
        非常に大きな外部因子が確定しないので、日本人だからそうなったのか、どの国の人でもそうなったのかの因果関係がはっきりしないのです。

        太平洋戦争
        最大の因子である当時のアメリカの意志がまだ不明。
        当事者である兵士や彼らと直接合っている子孫が存命の間は「間違っていた」とは言えないから。これは戦勝国の特権(逆に敗戦国は辛い)。なので、客観的な評価には戦後1世紀くらいは必要。

        原発事故
        天災や原子力関係はリスク計算が非常に難しい。確率論の世界である上に規模が何桁も変わるため。上でも述べたように、それらが確定した未来からバイアスなしで過去を評価することは非常に難しい。

        コロナ疫
        現在進行中であるため不明な点が多すぎる。欧米と南~東アジアとの違いが大き過ぎて、日本論の主力である「欧米との比較」が使えない。

        また、共通することとして、被害が大きいため「原因(悪者)を見つけたい」という心理から自由になれない。司馬遼太郎や山本七平ですら当事者だった戦争を見る目は別人になってしまう。
        そこを特定の思想を持つ人間のプロパガンダに利用された「日本人論」が多い。その手垢を拭うのはなかなか難しい。
        だから、日本の中から見るのはダメで、他の世界と比較する方がよく、それも「欧米と日本」や「特アと日本」という「違いを見る」ものではなく、「西欧とアメリカと日本」や「欧米と特アと日本」とかで「共通点も見る」のがいい。

    2. >>その人も日本人でしょ。

      あはは。ホンマやね。(≧∇≦)

      反論ありません。

      もう一重の対策が欲しかったと言っても、それこそ後出しジャンケンみたいなものです。
      後出しジャンケンみたいな議論を重ねても、次の外的要因は、全く違ったものになるのだから、あまり意味がないように思います。
      事実を重ねて、何故こうなったか考えるのは、大事な作業だと思いますが。

      1. >日本人論はムダではないのですけれど、太平洋戦争や原発事故やコロナ疫は筋が悪いかと。

        もともとのスレの話題からしたら、日本人の軍事アレルギーだったので、日本人論にもなるし太平洋戦争にもかかわるのは仕方がないかと。

        で日本人論的な話をするなら四つくらいの見方があって、日本に詳しい外国人の日本人論、変に日本を知っているだけで実は知っていない外国人の日本人論、日本のことをあまり知らないのに知った気になってる日本人の日本人論、そして知っているだろうとか知っているはずだの日本人による日本人論。
        私はこの最後のカテゴリーでいたいとは思いますけど、それでなんかの区別はつけてほしくはないです。
        で、こういうところに来たのは初めてなくらいなので、自由に意見をカキコできるのはありがたいと思います。
        mottonさんはかなり最初のカテゴリーに近いと思いますが、だからどうとかではなくって、そういう意見を聞ける、そのことが大事だと思います。

        1. 自分の事だから知っていると思っていたのに、改めて聞かれるとうまく答えられない日本人が、手探りで考える日本人論。w

          話しながら探って行く日本人論。
          かな?

  8. 仕切り直しwww
    mottonさんとcieさんのやりとりは、面白いです。
    「なぜ第二次大戦に負けたのか」だけじゃなくて「負け方がどういうもので、それに必然性が有ったかどうか、そして【外交戦略上の効果】が有ったかどうか」まで、踏み込んでいる、から。

    私が、今回テーマにしようと思ったのは、実は「そこ」じゃないのです。
    【そういうやりとり】そのものが、タブー視されて、日本では長らく「公には」されない、という《状況》が続きました。
    そういう《状況》が続くのは、日本人が根底に「軍事については、考えたくも無い」という意識を持っているから、だと思うのです。
    で、「それ」を「考える」。
    その「日本人の集団無意識のうちに在る軍事アレルギー」について、その「是非」よりも「どうして、そうなったか」を考えたい。

    「それ」の「是非」を論じるとすれば、私の立場は「考えたくも無いからと言って、ホントに考えない、というのは良くないよね」です。これは、これで、派生的な論点がたくさん。

    私の意見に賛成か反対かを問わず「そういう現象が有るかどうか」についての考察は「大歓迎」です。
    そして「それが有る」という立場からは「それが、いつ、どのように生じたか」「日本が、それを克服した時期が有ったか」「現在はどうか:私は【それ】が深刻化していると考えています」について、意見を述べてください。

    とりあえず、
    Q「いつ頃」
    A「縄文時代」具体的には「縄文と弥生が出会った頃に、縄文人のそれが顕在化した」と想定しています。

    1. >>「日本が、それを克服した時期が有ったか」

      戦国時代ですね。
      謀略、根回し、騙し討ち。。。
      武士道が、まだ綺麗事になる前の、なんでもアリだった時期です。

  9. お、流石師匠!
    仕切り直してくれてますね。w

    Q「いつ頃」
    A「縄文時代」

    私もそう思います。
    ネットから、2つ記事を拾って来ました。

    ttps://www.yomiuri.co.jp/culture/20211031-OYT1T50036/
    これが「弥生人」の顔…彫り深く低い鼻・髪は太く黒々、DNA分析で復元

    ttps://www.surugabank.co.jp/d-bank/event/report/130723.html
    顔から探る日本人の起源
    ~あなたは縄文系か弥生系か~

    上の記事、顔を復元された男性は、『縄文人の父、弥生人の母』を持っていたことが分かっているそうです。

    そして下の記事にある、

    【 現在の本土日本人は「縄文人30%、渡来系弥生人70%の混血」だという。
    「ではなぜ、渡来系弥生人の比率が高くなったのでしょう?」
     仮説として可能性が高いのが「渡来系弥生人が持ち込んだ感染症による縄文人の人口激減」だ。】

    私たちが子供の頃に習った、渡来系弥生人によって先住の縄文人が駆逐された説は、既に定説ではなくなっているのです。

    それはそうですよね。
    海に囲まれた日本列島に、異民族がどれだけ大挙して押し寄せところで、先住民を駆逐してしまえる程の数となると「?」です。
    やはり徐々に渡って来たと思うのです。
    そして混血しながら増えて行った。

    だから、日本人の軍事アレルギーは、「海が作った」と考えて間違いはないと思います。
    海は山よりもずっと強固な天然の防壁です。
    そして、日本海というのは、適度な荒海です。
    文物を運べない程荒くはないが、戦争を仕掛けるには荒すぎる。

    近代まではですが。

    1. 戦国大名に「軍事アレルギーですか?」と質問してみればいいかと。

      「軍事」の目的が大陸の「共存不可能な異民族の殲滅」であれば日本人は理解しませんが、「軍事」の目的が文明国の「共存のための秩序回復(天下統一など)」であれば日本人は最右翼で理解しています。
      前者は、軍事で勝つことは単純に「良いこと」です。しかし、後者は、「共存」が目的なのに、それを理解させるために戦うわけで「良くないこと」なのです。「軍事アレルギー」があるとしたらこれが一因。
      しかし、これはトルコのケマルや後漢の光武帝が超一流の武人であるがゆえに国家成立後は軍事行動を嫌ったのと同じ思考です。中華王朝だって天下統一後は引き篭もるわけです。(理解しない武帝や乾隆帝みたいな者もいるが。)

      ただし、戦後は日本の再軍備を抑制するために「軍事アレルギーがあることにする」というプロパガンダがありました。
      また、同盟国(アメリカ)の勝手な戦争に派兵したくないのは、左右の思想や古今東西を問いませんから、九条を盾にして忌避していました。
      でも、「軍事アレルギー」があろうが有事には吹き飛びますよ。「秩序回復」のために。江戸時代の大平の世から一気に変わったように。

      1. 「有事の際の、吹き飛び方」のが問題なんだと思うのですよ。
        日本人は「吹き飛び方」が下手…と言うか、吹き飛ぶのは「軍事アレルギー」じゃなくて「戦争アレルギー」です。

        《「戦争に巻き込まれないために、常に軍事について、よく考える」という姿勢が希薄な事》を含めて「軍事アレルギー」と言ってるので、ちょっと用語を整理しないと、分かりにくいですね。

        4時間ほど、用語の整理について、考えてみましょう。

        1. 用語の整理、待ってるんですけど。w

          日本人のアレルギー体質は、「穢れと清め」に根ざすものではないですか?
          もし、弥生人が持ち込んだウィルスで、縄文人がバタバタと死んでしまったなら、
          感染症対策として、「穢れ:死穢」という考えが広まったのではないかと思うのです。

          恐ろしい「モノ」には、『近づかない』。
          だから「コト」は起こった時に対応する。と。

          以前、テレビでゴジラ ( 初代 ) を見ていた時に思ったのですが、あれは、原爆の神格化ですよね。
          原爆を「ゴジラという神」にして、祭り上げてしまったのだと思うのです。
          アマチュアさんの仰った「怨霊」の話しにも通じると思うのですが。

          ヨーロッパは「神殺し」をすることで、近代化への道を進んで行ったと思うのです。
          しかしこの国では、まだ「神殺し」が起こっていない。

          私、キリスト教を出る時に「神殺し」を経験しているのですが、
          神社のお社に入って行って、御神体を叩き割るというイメージが、繰り返し繰り返し浮かんで来たのです。( 日本人でしょ。w )
          叩き割ったところで、地震が起こって見慣れた場所が、崩壊してしまうのです。
          一旦構築された世界が崩壊するとシンドイですけど、自由にはなれます。

          1. >もし、弥生人が持ち込んだウィルスで、縄文人がバタバタと死んでしまったなら

            新大陸のようなイメージなのでしょうが、時間スケールが全然違います。
            何十世代もの時間スケールでは、ホンの少しだけ再生産率が上回れば大きく変わりますので、それだけで説明できます。稲作(水田)は圧倒的有利です。
            # 以前は、弥生時代が短かったので説明できなかったのですが、大きく遡ることが分かってきたので説明可能になった。

            ちなみに、新大陸は南米でも先住民の男系遺伝子 Y-DNA(Q系統)はほとんど残っていません。
            一方、縄文人の Y-DNA(D1a2a、C1a1)は 30-40% 残っています。(縄文人に近い Y-DNA は、アンダマン諸島に D1a2b、チベットに D1a1 が残るのみで、クロマニョン人の C1a2 はほぼ消滅。なので、日本人が高頻度で保持しているのは特異的。よほど平和的に融合した?)

            >「神殺し」
            やらない方がいいかと。弱い人間の精神では、自身を神としてしまうので。やってしまったのが特ア。

          2. 「穢れ」という共有思考の成立が、かなり早い段階で起こっている筈だとの考えを、ウィルスで説明できると思ったのですけどね。ダメですか。w

            縄文人、弥生人は、平和共存のうちに混血が進んだ。
            というのが、最近の学説では主流になって来ているようですね。

            感染症は可能性の一つです。
            現在の本土日本人が「縄文人30%、渡来系弥生人70%の混血」で弥生人の比率が高いためです。
            もちろん稲作等、農耕によって栄養状態のいい弥生人の方が、生存に優位だったというのが有力です。

            神殺し。
            人間には、神に相当する何かが必要だと思っています。
            「人智を超えた何か」がです。

            >>弱い人間の精神では、自身を神としてしまうので。

            キリスト教だと、人格神であるため神と一体化して、神の代理人化してしまうので、やる必要があったと思うのです。

            日本にそれが必要なのかどうか分かりませんが、たぶん必然として起こります。
            やらない方がいいと思って、やらないでいられるというコトではないので。
            他者に出会えば、自己に出会う。

            もう一段階大きな自己に、止揚するために必要なことが起ころうとしているのだと考えています。
            「殺す」というのではなく、親の家を出るぐらいの感覚でいいのかもしれません。

          3. >「縄文人30%、渡来系弥生人70%の混血」

            渡来系弥生人は、稲作を伝えた南方系弥生人(Y-DNA O1b)と、中華文明を伝えた?北方系渡来人(Y-DNA O2)を分けるべきかと。
            Y-DNA では南方系が多く縄文系と同程度。(全ゲノムでは北方系渡来人由来が多い?)
            # 後世の Y-DNA は、天皇家(皇別氏族)や藤原家のタイプが栄えたと思うので、どこまで弥生時代を反映しているか分かりませんが。

          4. あ、そうですね。
            Y-DNA は、一定の割合で残るわけではなく、成功者のコピーが爆発的に増える事もありますものね。

            チンギス・ハーンとか。
            モンゴル人の6人に1人は、彼の Y だって言うんだから、それまでの割合がどんなだったかなん問題にならないですよね。

            チンギス・ハーンと言えば、
            名前の後に、ハートをつけると急に悩ましい感じになるって、中川いさみ (「クマのプー太郎」の作者 ) が書いてて、アホやなあと思いつつも、彼の名前を書く度に思い出してしまう。w
            チンギス・ハーン♡ ( ごめんなさい www )

        2. 「軍事アレルギー」を語るための用語の整理は、夜にでも。
          どうしても「混乱」というか「まじぇまじぇ」になるので、慎重にやります。

          「神殺し」について、ちょっと。
          特亜では「神殺し」が起こりませんね。
          「元々【神】がいない」から。
          いない者は殺しようが無い。
          そして「異教の神」が特亜に入ると「何か禍々しいモノ」に変質させられる。
          そういう事を、前に「各文明での【神】の概念」を考えていて、気付きました。

          「シリーズ・各文明での【神】の概念を考える」は、そこに行きついてしまった事も有って、お休みしております。
          いずれは再開したいのですが、今は「目」が仏教の方に向いています。それが「具体的にどこを向いているか」と言うと。

          ヨーロッパの「神」の概念を考えてみましょう。
          ギリシャ・ローマ・北欧の「神」は、共通点が有ります。まあ、当然ですけど。
          それを「キリスト教の神」が覆いつくしてしまったかと言うと、そうは言いきれない。

          そこから話を広げると、
          「まず、エジプトでアトン信仰という一神教」が出来て、その後、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教が普及した。
          「一神教」が「宗教の進化型」と、よく「一神教側の人たち」は言います。

          ところが、ユダヤ教でもキリスト教でもイスラム教でも、そういう「異質な多神教的概念」が、どうしても、入り混じってしまう。
          結局、人間は「一神教」を受容できないのではないか、などと思ったりします。

          大乗仏教の成立も、そういう「一神教的な神」と「多神教的な神」が入り混じって、「元々の仏教の基礎を変化させて出来た」のではないか。
          大乗仏教そのものが「一神教的思想」を人間が受容しようとする試みから生まれたのではないか。
          そういう可能性について考えています。

          1. >>結局、人間は「一神教」を受容できないのではないか、

            一神教は「自己」であり、
            多神教は「他者」の集合。つまり「社会」と言えると思います。

            人間は、集団で生きる生物なので、一神教だけで生きる事はできません。
            自己を見つめるには、助けになります。( 害にもなりますが。)

            他との差別化を図らないと、呑み込まれて消えてしまう弱小部族の、生き残りを賭けた「自己」の強化が、あの部族神だったと思います。
            中華の周辺国が、漢字と格闘したのに、少し似ているかも。

            あんな弱小部族の部族神が、ここまで大きくなったのって、凄い事だと思いませんか?

            脱線し過ぎなので、この辺にしておきますが、それもまた、人智を超えた働きがあっての事だったんでしょうね。

  10. mottonさん

    アメリカ人がやる、
    例えば、ウサマ・ビン・ラディン氏殺害の時にやっていた、
    “U.S.A U.S.A” っていうあれって、
    もしかして前者だって事ですか?

    あれ見るとマジで虫唾が走る。
    日本人の大半は、あれに嫌悪感を覚えると思うのです。

    そういう戦争に巻き込まれなくて済むように、9条を盾に取って来たと。

    だとしたら、「理解は出来る。でも納得はいかないし、する気もない。」という私の反応が、日本人の典型ではないですか?
    ( 自分は標準的日本人ではないけれど、典型的日本人だとは、常々思っています。)

    とろいやさんにも、こう言われたし。w
    >>cieさんのこの反応が、「政略(外交)と戦略と戦術を、関連させない、日本的発想」の表われだと思います。

  11. >ウサマ・ビン・ラディン氏殺害の時にやっていた、“U.S.A U.S.A”
    これはまだ理解できるかなあ。捕虜虐待(尋問のためですらないやつ)の方が問題。ただ、アメリカは(日本と同類で)マシ。

    「共存不可能な異民族(敵)の殲滅」って、生物の生存戦略として基本的に「良いこと」「正しいこと」です。
    ただし、人類は社会的生物であり「共存する仲間を増やす」という後者の生存戦略の方が優れています。
    だから、現時点では共存不可能のように見えても(そう見えるから戦争するのですが)、将来共存できる余地を残すために非人道的行為をしない等の一定レベルの制限をかけるのです。

    もっとも、こんなことを頭で考えてるわけではなく、後者は遺伝子や社会倫理(道徳)で刷り込まれているわけです。(そのため、非合理だと批難するのではなく、嫌悪感を覚えることになる。)
    もちろん、生物の本能として前者もあるわけですが、敵であっても仲間の「形」をしていると抑制されます。刷り込みだけではなく、仲間の「形」をしたものにひどいことをする奴は危ない奴とみなされるのもあるでしょう。
    (戦争では、兵士のこの抑制を無理やり封じるので、帰還兵のメンタルの問題がでるわけで。)

    逆に、敵が将来仲間になる可能性があっても、敵の「形」が異形だと(例えば異人種や異教徒だと)前者だけ出てくることになります。
    日本人は、人種などの外面や宗教を仲間の「形」の要素にしないのですが、内面は重視します。共存不可能な「人でなし」は殺すという死刑には賛成多数なわけで。

    1. >>捕虜虐待(尋問のためですらないやつ)の方が問題。

      それはそうなんですけど、
      こちらの方は、虐待している側も、自分たちが後ろ暗い事をしていると分かってはいて、アメリカでも問題になったじゃないですか。

      ビン・ラディン氏殺害の時に限らず、アメリカ人がやる、あの ”U.S.A U.S.A” っていうヒャッハーなあれは、
      つまり、彼らが「自分たちは良い事を成し遂げましたあ!」って、お祭り騒ぎをしてるって事ですよね。
      同列には、語れないと思います。

      見た目のインパクトという点も、一瞬でバカを晒して、嫌悪感を引き出すヒャッハーの方が、大衆的にはマイナス要素が大きいかもしれないと思います。

      虐待の方は、長期にじわじわと効いて来るのかもしれませんが、シベリア抑留だって、それほど多くの日本人の共有事になっていないという点を考えても、
      後者 ( U.S.A : 前者、後者が入れ替わってしまって分かりづらいですね。すみません。)の方が、敗者との共存を難しくするのではないでしょうか?

      私が相容れないと思うのは、虐待よりもヒャッハーの方です。
      虐待は、人間の業として、なくなるものではないと思うので。
      ダメなんですけどね。虐待の方がもっと。

      1. 戦前の日本や他の国々でも近いノリでやると思うんだけどなあ。

        特にアメリカは(一番簡単で自然な)血縁的な民族意識による国民統合ができないので、州単位(果ては家族単位)での孤立主義があるわけです。でも、外交・軍事では「国家」が必要なので、”U.S.A U.S.A” は必要だと思うのです。

        基本的に国内向けで良くも悪くも外(敗者)のことは考えていない。
        征服地で略奪や凌辱(屠城)をするような敗者に対する「ヒャッハー」とは似ているけれども違う。(多くの日本人には嫌悪感だけだが、こっちにも「見せしめ」という合理的側面がある。)

        1. 好悪の軽重という要素を孕んでいます。
          もちろん ”U.S.A” が軽くて、虐待が重いです。

          あまりにも重い問題からは、目を背けて見ないという人が多く存在します。
          見ない、考えない。
          見ても見ていない。

          メディアで流れた、アブグレイブ刑務所の捕虜虐待事件を見て、知って、考えた人はどれぐらいいるのでしょう?
          見ただけでは、捕虜虐待事件があった事は、意識には残りません。

          一方の “U.S.A.” は逆で、一瞬で意識に残る。バカとして。
          見て、知って、考えて、アメリカが「人工」国家であるという、背景までを理解する人はどれぐらいいるのでしょう?

          だから映像のインパクトとして、後者の方がマイナスではないかと思うのです。

          私自身の好悪の感じ方を混ぜてしまったので、分かり難くなりました。
          私自身は、毎日教室で「忠誠の誓い」を言わされるのなんてまっぴらです。

          マシなのは分かりますよ。
          中国とアメリカ、どっちを選ぶ?
          と聞かれたら、即答でアメリカです。
          ただ、アメリカにも好意を持てたことが無いので。w

          1. そこまで “U.S.A.” を嫌悪するのは、戦後の一部の日本人だけでしょう。
            世界の多くの人々は同様のバカなので気にしませんよ。

            人間は(日本人でも)真社会性動物ではないので、直系子孫や配偶者以外のために命を賭ける本能はありません。
            しかし、現在は子孫や配偶者を守るために「国家」が必要なので(それを頭で理解するだけではなく感情に訴える)”U.S.A.” みたいなノリ(ナショナリズム)が必要なのです。

            アメリカがマシなのは、そこに「実」があるからです。忠誠の誓った国家が自分や家族を守ってくれる(と信じられている)。結果、国家の行動に制約がかかるからマシ。
            一方、独裁国家は独裁者のために同じノリを強いる。
            あのノリを全否定するのは、戦前の日本は後者だったとするための戦後のプロパガンダなのです。

            >ただ、アメリカにも好意を持てたことが無いので。w
            アメリカは古今東西の覇権国家の中でダントツで(良くも悪くも)善良なので、もう少し甘い目で見てやったほうが…。オバマの広島来訪とか凄いことなのだし。(日本の方が現実主義で合理的な分だけ冷酷かもしれない。戦前の外地の統治を見ても。)

          2. 嫌悪感を拭えと言われても、速攻拭えるわけではないので。w
            でも、心に留めておきます。
            考え方さえ入っていれば、そのうち変わる事もあるでしょう。

            >>アメリカは古今東西の覇権国家の中でダントツで(良くも悪くも)善良なので、もう少し甘い目で見てやったほうが…。

            グレアム・グリーン「おとなしいアメリカ人」。
            覇権国家の善良は、害悪だったりするので。。。

          3. 私は「アメリカがマシ」な所は、理念だと思います。
            民主主義・自由主義・人権主義という「理念」を掲げていて、その「理念」こそが「国家の枢要」なのだと「指導層だけ」じゃなくて「おぼろげながらも、国民の末端まで」が理解していて、しかも「そういう国家である事」を「愛している」。
            実際には、理念通りには行っていませんが。
            「理念を護ろうという志」だけは、共有されています。

            その「志の共有」には、日本も「乗って良い」と思うのですよ。
            具体的な外交政策には「是々非々」で良いはずですが、そこは「アメリカの独善性」が発揮されるので、気を付けなければなりません。

            つまり、アメリカの独善には「批判が可能」なのです。
            アメリカが掲げている理念と具体的な政策の乖離や矛盾を「論理的に」説明すれば良い。
            そういうやり方を、アメリカ文明は否定できないから。

            「中国の独善」は「国家の枢要を成り立たせている思想であって、矯正のしようが無い」のですが、
            「アメリカの独善」は、ほとんどの場合「単なるボタンのカケ違い」で、矯正可能です。

          4. 「善良」としたのは「隣人と共存関係を築いて社会を営むためになる善い行為」というべきものです。
            だから、我々も隣人であろうとして批判できるし、アメリカも隣人の批判に耳を傾けます。
            ただし、隣人が「仲間」である場合にのみ生存戦略として「正しい」ので、「仲間」の範囲が血族程度の狭い社会の人々(例えば特ア)には通じません。

            民主主義・自由主義・人権主義などは、「仲間」との共存関係のために有益なもの(「仲間」との干渉を調整して最適にしたもの)です。
            これらを受け入れると「仲間」になれるし、「仲間」であるためにはこれらを守らないといけません。

            ただ、アメリカは「理念」にしてしまっているので、まだ「仲間」でなくてもそれを与え求めます。良くも悪くも。
            日本人は、そういう「理念」は持ちませんが、「人」であるなら(経済合理的な帰結として)「仲間」になりたいはずだと考えるので、似た者同士ではあります。

          5. オバマの広島来訪について。

            原爆投下には是非があります。戦争自体にも是非があります。ただし、これは歴史家の目からのものであり、是非と問われるのは国家(為政者)だけです。
            それに「命を賭けて」従事した兵士たちにとっては、絶対的に正しいことです。
            だから、当事者の兵士たちや彼らと直接関係がある人々(子供など)が存命である間は、彼らの正しさを守らないといけません。そうでなくては、兵士たち(国民)は命を賭けることができず、国民国家が成り立ちません。
            (原爆を投下して)戦争を終わらせた「英雄」を「虐殺者」にしてはいけないのです。彼らは、”U.S.A. U.S.A.” で迎えられるべきなのです。少なくとも当事者が存命の間は。

            だから、アメリカ大統領が広島に来るのは、兵士たちや彼らと直接関係がある人々が亡くなった戦後 100年くらいだろうと思っていました。でも、オバマは別の理念を優先して来てしまいました。良くも悪くも善良というやつ。日本にとっては、とても有益なことだったのですが。

            さて、上記から、敗戦国に対して、その再戦の意志を奪う(国民が命を賭けない・戦わないようにする)ためには、兵士たちから「正しさ」を奪うプロパガンダが非常に有効だというのが分かるかと思います。
            # 靖国も戦犯も慰安婦も南京も根っこは全部これ。
            軍(兵士)が身近なら、そこまで有効ではなかったと思うのですが。
            ただし、プロパガンダでしかないので(日本人は合理的ゆえ)有事には吹き飛ぶと思っています。

          6. 「理念」だから問題なのです。
            自分たちが正しいと信じていて、それを愛している。
            旧世界の人々は、遅れているだけで、そのうちみんなアメリカ人のようになると、無邪気に信じているでしょう。( だいぶマシになりましたが。)

            日本が、民主主義・自由主義と親和性が高かったので、拍車を掛けてしまった所もあると思います。

            イラン革命じゃないですか?
            なんか違うって気づいたのは。( それまでは、vs 共産主義でしかないと思っていたでしょうから。)
            それでも、頑なな旧世界人って思っただけかも。

            中東での数々の失敗は、相手の必要を理解しようとせず、「理念」の押し売りをしてることによる泥沼でしょう。

            ※ 因みに、ビン・ラディン氏殺害時、たまたま一緒にテレビを見ていた、フランス人とベトナム人は「うげーっ。」ってなってましたよ。
            それぞれ一人ずつでしかないですけど。w

          7. アメリカの理念が、なぜ「マシ」なのか。
            「民主主義」や「自由主義」が成立するための【モノの考え方の基礎】に「自分たちは、正しくないかも知れない」という【懐疑】が有るから、です。
            ゆえに「アメリカの独善」には「矯正可能性」が有る。

            一方、「中華思想」には「懐疑」が無いから「構造的には矯正可能性が無い」のです。
            「本当に良い人」が「皇帝と宰相」になって、ようやく「国らしいレベル」になる。

            「今まで、アメリカの独善がヒャッハー!してた」のは事実ですが、それと「矯正可能性」は、分けて考えたいと思います。

          8. >「民主主義」や「自由主義」が成立するための【モノの考え方の基礎】に「自分たちは、正しくないかも知れない」という【懐疑】が有るから、です。

            「民主主義」や「自由主義」は、共存のための対等な関係(我々の社会の基本構造)の維持が目的だから、バランスの問題であり、環境に合う最適解を「常に」探す必要があるということだと思います。
            「理念」が問題なのは、「○○主義」として固定化されると、目的を忘れて「今」の解が常に最適解だと誤認する場合があるからです。(アメリカは歴史が浅く成功体験が多いから特に。)
            ただ、あまりにも環境に合わなくなり社会の維持が上手くいかなくなると、目的と探すことを思い出すので、致命的ではありません。(ただし、「理念」だけ移植された社会では、致命的になってしまいます。これが韓国など。)

            一方、社会の基本構造が支配のための上下関係の維持である社会だと、解が固定されていて探す必要がありません。(「中華思想」では、「懐疑」が無いというか積極的に否定される。)
            もっとも、本当にそうだと社会が成り立たない(被支配者が死に絶える)のでバランスが必要です。ただし、それを理解して対応する義務があるのは支配者だけです。だから、支配者は法(国内支配のための法)の上に立ち、思想(国内支配のための思想)からも自由です。ただし、我々と同様、国際社会の「法」には縛られます。
            これらを理解している名君が治めてやっと「国らしく」なります。

  12. さてと「用語の定義」は難しいですね。
    って言うか、用語の定義ができれば、ほとんどの場合「当初の問い」について、一つの結論が出せる訳ですがwww

    私が、テーマとして提案した「日本人の軍事アレルギー」をきちんと定義するために、「軍事」と「アレルギー」を、それぞれ考えましょう。

    まず「軍事」を考えるために、マクニールの「戦争の世界史」を読み返してみました。第1章・第2章だけ。
    第1章は「古代及び中世初期」ですが、総論として読めます。
    第2章は「中国優位の時代」なので、私たちが議論するべき「特亜の特殊性」を理解するために役立ちます。

    そこで、まず著者が力説しているのは「戦争の産業化について述べるのが本書の目的である」です。
    そして「産業」とは人間の営為のすべてを包摂する概念だと、私は思います。
    そういう考え方が「日本において希薄な事」を、私はテーマにしたいと思ったのです。

    どこかで、日本人は「軍事とは、特殊な分野である」と考えていると思われるのです。
    軍事が「人の営為の当然の一部である」という捉え方には、ならない。

    ああ、酔いが回って来たなあ。
    2合呑んでから、ウイスキーをダブルで2杯。これで「気持ちよくなれる」のだから、私も「簡単に酔える」ようになりました。
    そういう意味では、歳をとって体力が落ちるのも「悪くない」のかも。

    さて、酔いつぶれる前に。
    「外交」
    「軍事」
    「戦略」
    「戦争」
    「戦術」
    「戦闘技術」
    「闘争」
    というように、段階的に捉えてみましょう。

    1. 人間社会はフィクションがちりばめられているので、そのフィクションの「用語」を使うと定義が難しいと思います。

      でも、人間は社会性動物でしかなく、「軍事」は動物が群れの仲間と縄張りを守る(縄張りを広げることを含む)ことでしかないと思うんですよね。(「内政」は群れの維持でしかない。)

      社会性動物の行動の優先順位は、以下のような感じだと思います。
      1. 自分の子孫(DNA)の繁栄
      2. 1 のための自身の生存
      3. 1,2 のための環境の維持
      4. 環境として社会(群れの仲間と縄張り)を選択
      5. 社会の維持のための営為 ← ここに軍事や内政が入る
      6. 1~5 を最適にするための技術 ← ここに科学や思想や宗教が入る

      ヒトは、6 の技術(言語能力も含む)に長けているだけ。

      ただし、ヒトの軍事に使える技術はあまりにも発達しすぎていて、それが(一部の個体の勝手で)内政に使われた場合に社会の維持が非常に危ういことになります。
      一方、基本的にヒト(というか動物)は上記の 1~5 を考えて合理的に行動するのではなく、6 が遺伝子やミームにより固定化されたパターンで行動します。
      結果、行動パターンとして、内政を優先して「軍事アレルギー」とでもいうべき枷を嵌めるか、軍事を優先して群れ(社会)の統合を犠牲にするかの選択になります。

      では、皆が 1~5 を常に考えるといいのではと思いますが、そうすると合理的に 1~3 の利益を優先して 4 に反する個体も出てくるわけで。(そういう個体が軍事に使える技術を内政に使う。)

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