新・議論エントリーその1

議論エントリーです。「シンシアリーのブログ」のサブ掲示板です。本体ではコメントに返信ができないので、どうしても返信して議論したい方はこちらでどうぞ。

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“新・議論エントリーその1” への99件の返信

  1. 名指ししないけど愉快犯がいて、それに粘着する人が多過ぎる印象。荒らしに餌やるのも荒らしだろと思う

  2. 以前、韓国からのアクセスを一時的に遮断してたと思いますが、今はしてないんでしょうか。例の攻撃が気になったもので。

    1. 不正ログインは、世界中のサーバーが使われています(多分、やっているのは一人でしょうけど)。何かのプログラムでパスワードを探りながらログインを繰り返していました。

      本サーバーや管理ページを守る機能をやってくれるのも外国の会社(クラウドフレアといいます)ですので、シンシアリーのブログのほうは外国からのアクセス全体を遮断することはできません。韓国など一部の国以外からは、コメントもできます。

      本「生粋」は、外国からのコメントは一切できません。

      1. >不正ログインは、世界中のサーバーが使われています(多分、やっているのは一人でしょうけど)。何かのプログラムでパスワードを探りながらログインを繰り返していました。
        >韓国など一部の国以外からは、コメントもできます。

      2. 不慣れでエンター押したら書き込みされてしまったニダ。

        wordpressのログインを公開鍵認証にできないかと思ったんですが、調べてみましたがそんなのなさそうですね。

        残念ながら、クラウドフレアのDDoS対策とWAF以上の対策を思いつきません。

        うちのサーバでやった国外IP遮断は、もちろん例外IPの登録もできますが、(firewalldかtcp-wrapperなどの)HTTPの下のレイヤーでの遮断なので、返信はおろか、記事を読むことすらできなくなってしまいますので、使えないですね。

        1. ありがとうございます。クラウドフレアたんの機能をもう少し絞って、管理ページセキュリティを強化しました。プラグインとかはいじってないから、多分ブログのほうも不具合は無いはずです(多分、ですが)。

    1. 以前は雑談ルームがこんなノリだったんだよね、、
      最近は軽い雑談ができなくなったのが寂しいなと思う。

      1. しようよ!しちゃえばいいんだ!むしろいがみ合ってる方が場違いな雰囲気に!(‘∀’)
        変な事言ってる人がいても相手にしないでみんなで和やかにさ、あーあこっちの方が楽しいのにな~って。

        1. オランジーナさんのご意見に賛成して、
          雑談ルームには「楽しいネタ」しか書き込まないようにします。

          重苦しい話は「議論ルーム2へと」とりあえず決めました。

  3. 欧米式民主主義と日本式民主主義を採用して結果起きる差異について、コレを理解してもらう為に世界中の科学者に対しては失礼になるけれども
    、先ずは最初に常連の方々に科学とは宗教の言い換えである事に同意してもらう必要があった。

    その次には主張が強引であったけれども人間社会は
    文法(脈絡)を世界のメタファーとして解釈している世界であることをにも同意して頂きたい。

    その上で「日本式民主主義」とはなんなのかについて自分の発見をお話しさせて頂きたい。

    あくまでもコレは歴史的事実だけを対比して推測した結果だけれど、死に方で包含(全てを包み込む)された科学(宗教観)で社会傾向を包み込めば、生き様に恥を感じる社会傾向になり、尊敬を資本とする社会傾向になる。生き方で包含すれば、死に方が問われる社会傾向になり、自死に恥を感じ、死に方を資本とする社会傾向になる。欧米人は語順によって自分の絶対存在を信じる感じ方に縛られており、その感じ方では死に方は感じられ方を示す事により、結果的に死に方とはつまり演出(ファッション)という結論へ至る。
    この二つの民主主義制度を対比してみると

    △日本式民主主義制度の包含の中で起きる社会の傾向は

    (日本式民主主義)

    社会経済とは利益ではなく発展することが重要
    仕事は労働ではなく働き(作用)
    自分は自分ではなく一個人であるという意識で統一された社会になる

    ▽欧米式民主主義制度の包含で起きる社会の傾向は
    (欧米式民主主義)
    仕事は働きではなく労働である
    自分が生きる事が大切
    自分とは自分であり他人は利用する為の存在である

    もしもコレに悪口ではなく反駁(他の意見に反対する)があるようであれば意見をお願いします

    1. 前半部分についてのみ反駁というかなんというか。
      「科学とは宗教の言い換え」というのは真理ですか。
      それとも自説を説明するための仮定ですか。

      理科が好きな子供が科学者になるとき、
      最初に自分に確認することになるのが
      科学とは何かだったりするんですよ。
      それの答えが「科学とは宗教の言い換え」。
      これはさすがに受け入れるのは無理です。
      もう一つ日本人にとっては問題になりませんが
      宗教を前提に生きる者にとっては
      「科学は信仰と両立しうるか」が重要になります
      宗教の言い換えなら改宗ということになるのですかね。

      1. >数学者の端くれだった匿名さん

        それでは議論ルーム2の方へ返信を移動します。

    2. 難しくてよく分からなかった(‘ω’)
      小学生に教えてると思って言葉を易しくかつ短い文章にしていただけると嬉しいです(‘∀’)

    3. この話は「楽しい」ですけど「重苦しい」し「難しい」ので、
      この雑談ルームじゃなくて、議論ルーム1へ移動しませんか?

      1. あっ!大ボケをかましてしもうた。
        ここが議論ルーム1やないかい…

        ここが「雑談ルーム」とカン違いしてました。
        お詫びして訂正します。賠償はしません。

        という訳で、このまま、ここで続けましょう。

      2. 誘導ご苦労様です。

        管理権限があれば木ごと移植できるかもしれない。
        シンシアリーさんにお願いできませんか。

      3. 議論エントリーその2”のとろいやさまの最初のコメントに共感した端くれの今回の実践はあそこで終了とします。
        ツヅキ アルケド ソロソロ キケン
        多くの方々の有形無形のご協力を感謝します。以後はお好きに。

        今回知りたかったのは、
        対応を菩薩側に全振りしたらどこまで伝わるのか。
        途中で
        どこまでわかりやすく説明する必要があるのか。

        仮想人格「菩薩」は私には無理があり、対象の制御も困難でした。

        分量が多い、スレが把握できない。
        見ていただいた人には不快なものであったことをお詫びします。

        とろいやさん。師匠。私も相当人が悪いのです。
        以後も師匠と呼びます。勝手に。

        1. 一つ面白いことがあるのですが、気づきましたか?
          各人のコメントの文字数に対しての使用単語の種類の数の違いです。私は意識的に減らしていたのであれですが、とろいやさんと注射星人さんでも数倍の違いがあったと思います。

          一般に、科学者のような人々は、問題を単純化して(必要最小限な系を構築して)厳密に証明することを好みます。(行った単純化が現実に対して正しいかどうかは別の話。)
          単純化されているので単語の種類が減って「中学生でも分かるように」が成り立ちます。

          一方で、現実における証拠(傍証)を積み重ねる手法を好む人々もいます。現実における証拠なので、中学生は聞き手にはなれません。
          彼らは、ある証拠(だと思っているもの)を提示して理解してもらえないと判断すると、別の証拠を手を替え品を替え提示して理解を求めます。結果、単語の種類が増えます。

          厄介なのは、前者の人々が厳密化のために(深堀りしたくて)質問した時、後者の人がそれを自明だと思っている場合に「理解してもらえなかった」と判断してしまい、前者の人々が求める対話にならないことです。

          「直感的に結論が見えてしまう」人は後者です。
          実際には無意識に現実における証拠から単純化して証明を抽出しているのですが、無意識ゆえ言語化できない。だから、理解してもらえない。
          というのを理解して欲しくて手を替え品を替え… (あれ?)

          # 中一の娘に不確定原理を説明しようとして四苦八苦。
          # 「二人で同時に観測したらどうなるん?」とか質問すんな。

          1. 直感的に結論が見えてしまう人々が存在する。一方でそれができない人々がいる。仮に前者をA、後者をBとする。
            Aはさらに2種に分類される。仮にXとYと呼ぶ。
            Xは直感を分析することが可能で、Bの理解を得る能力を持つ。これに対しYはその能力が不完全である。
            習得の可能性は、個体の意思に関係がある。また機能的に不可能な場合もある。専門の技術なしに深くかかわると…
            危険な実験は邪道。

            「二人で同時に観測したらどうなるん?」
            すでに才能の片鱗がw
            真のリケジョに育つことを心よりお祈りします。
            ナンテ セツメイ シタノ?

          2. 用語の種類

            コメントに使用する用語は3種類で、自分が説明した言葉、相手が使った言葉、作成中のコメントまでに誰かが説明した言葉。3種だけで作ろうとしました。でも投稿後確認するとたいがい失敗してます。
            ジョウシキガ ジャマスルノ

            提示した教材はあとで必要になる用語がいっぱいW
            mottonさん、いろいろわかってくださったので楽でした。
            途中終了で半分くらいは使ってないけど。

            表現は仮想人格を使いましたが、心情に嘘があればバレます。直感型には絶対通用しません。だから端くれ本来の心情です。確信できませんけど。多分。本心。そう思ってたんです。あのコメントまでは。

            シショウ タス イヤ マダ イイデス

    1. 全然、関係ない話になってしまいますが、
      科学哲学の本を読んでいて、考えたことがあります。

      【「物理的に、厳密に、同時」という状態】は、
      「成立しない」のではないかと。
      つまり「【真に】同時」であるためには「同じ慣性系に属していて、位置と速度と質量が【同じ】でなければならない」のではないか、と。
      それを「別々の個体が」は、不可能ですよね。

      ですから「観測という行為」も「厳密に二人が一つの現象を同時に」というのは、不可能だろうと。
      ごく微妙だけど、観測する方もされる方も、位置(空間座標)と時刻(時間座標)にずれが生じますね。

      ネコを二人で同時に観測すると、必ず一方は寝ていて、もう一方は観測者を引っかきます。

      1. 「観測」には悪魔が付きまといます。
        ラプラスの悪魔、マクスウェルの悪魔。
        って、テキトーに言ってみる。

        学生時代はハミルトニアンと格闘していたのだが、
        ナンモ ワカッテ ニャイニャー

  4. 通りすがりじゃなくなってる さんへ
    ラムザイヤー教授の別の論文、出版される・・「優秀な朝鮮人は、やりがいを感じて日本に移住した。残された朝鮮人の水準はどんどん下がって、共産主義者の餌食とされた」 について

    >韓国の現状が日本のせい、とはどこを見て思うのでしょう?
    タイトルですね…。日本が朝鮮を併合したせいで人材が日本に移り、残された韓国は共産主義に傾いて今に至る、みたいに受け取りました。あ、日本が併合してなかったらもっと悲惨な事になってたとかIFの話は置いときました(‘∀’)

    >彼等の現状は彼等の行いによるものですよ。
    それは確かにそう

    >それから教授の論文は~
    そうなんだけど学問って血も涙もないなぁと(笑

    >それから「こんな時期」ではなくても韓国は大騒ぎしますよ。
    韓国の中にも「論文を批判するならこちらも根拠を出さないといけない」と言っている人はいるので、あんまりヘソを曲げるような事を言うとそういう層まで「こいつはくそったれの親日派だ」「内容なんか関係ねえ」「署名だ請願だ謝罪だ」に移ってしまうのでは…と危惧したわけです。せめて今の慰安婦に関する論文の騒ぎがちょっと収まってからでいいのでは…と…。

  5. オランジーナさん

    >日本が朝鮮を併合したせいで人材が日本に移り
    ではやはり台湾等のように植民地扱いにした方が良かったという事ですかね。一応、朝鮮から人が来過ぎる、という事で当時の国会では「朝鮮人移住対策ノ件」が閣議決定されてます。
    さらに言うなら今でも韓国人が就職先を日本に求めてます。併合は解消されたはずなんですが人材が日本に移ってますね。

    >学問って血も涙もない
    そりゃそうでしょう。当時の聞き取り調査や数字のデータを基にした論文です。そこに並んでいるのは血や涙など見えない文字と数字の羅列です。日本は血と涙を持って韓国に接しましたが、それが大間違いだったのです。

    >論文を批判するならこちらも根拠を出さないといけない
    少数派です。誤差の範囲でしょう。署名だ請願だ謝罪だは現在進行形でいつでも噴出するものです。韓国のお気持ち()を逆なでることを日本がすればすぐにでもね。日本が機嫌をとってやる必要はありません。論文で騒いでるのは韓国人と中国人だけです。ポリコレ棒が大好きな外国人も入ってるかな。第一、韓国の李栄薫教授も散々指摘してきたことです。

    オランジーナさん、これは皮肉ではないのですが優しいお人柄とお見受けしました。私は優しくない人には優しく出来ないので、韓国にも優しく出来ないのです。

    1. いえ、あくまで私が思ったのは「今の韓国がこうなってる要因に日本の併合もあるんだろうなぁ」という事だけです。文字通りそれしか感想がありません。だから申し訳ないとか、こうなってたらよかったとかの思考には一切発展していません。「ふーん、そうかもね。それよりお腹すいたな」くらいの気持ちでした。

      このタイミングで更にこういう論文を出す事については…、
      まぁ、韓国についてはとことん強く出るのが正攻法だ…みたいな話はよく聞くので分かってはいるんですが、どうしても自分の感覚で考えてしまうんですよね…。

      ありがとうございます。このブログでは話し相手になってくれる人あんまりいないので話しかけてもらって嬉しかったです(^^)
      また機会があったらお話して下さいね。

  6. 春の人事異動には少し早いですが、「七誌語分析」を、こちらに移動します。
    で、ちょっとだけ。

    七誌論法の特徴は「分かりやすい【間違いの濡れ衣】を【自分を批判した事のある不倶戴天の敵】に、何とか被せようとするところ」です。
    今日、着せられそうになったのは「ディストピアの支持者」と書いてある「汚いぼろきれ」でした。

    これまでに説明して来た「【語意】と【文意】のねじ曲げ」によって、「言っていない事」の責任を追及して来るのですが、どうしても無理が生じます。
    その無理を誤魔化すために、朝鮮論法の使い手がよくやるあの手。
    「しつこく繰り返す」ですね。
    これで、何回「とろいやのような人々がディストピアを~~」と力説されたでしょうか。
    しかし「無理は重ねても無理」。

    多分「無理が生じている」のが、理解できないのでしょう。
    「ウリは正しい」から論理が逆流して来ますので、そういう現象が起こります。
    「なじぇ、ウリのコメントに【いいね】がたくさんつかないニカ?」と不思議がっているのではないでしょうか。
    本人は「信者を増やす事には興味なし」と言ってますけど。
    信者を増やそうという気が無いのなら、他人のブログに、他のコメンターにこんなに嫌がられながら「居座る」というまねはできない、と思いますが。
    人類と論理が違うので、ウソじゃないのかも知れません。

    1. 先ほど、韓国の名誉毀損罪についてのエントリーに、七誌さんの「卓見」が投稿されました。

      《日本の目標とは、ホントウノ自由とは、「公共(ウリ)の利益」に反する発言が、容認される社会》なのだそうで。

      なるほどなあ、と納得。敵が使用した「キーワード」を「朝鮮的な意味」に決めつけた上で、それを排撃するのだと分かりました。
      ※「公共の利益」の【公共】を【ウリ】と定義すれば、確かに「公共性の原理」は「自由の敵」でしかありません。

      なので「人類の世界では○○だ」とか「日本人の常識では○○だ」と説明されると、猛然と敵意を燃やすのですね。
      キーワードを本来の意味で使用されると、敵の意見を「否定」できなくなるから。
      否定するためには「敵の言う事は、間違いでなければならない」。
      ゆえに「何とか間違いに仕立てるために」アクロバットを。

      時々「否定して見せた他人の意見」と「同じ事」を得々と説明するのは、この「キーワードの【人類的意味】と【朝鮮的意味】」が、七誌さんの脳内で「自由自在に、あっちを向いたり、こっちを向いたり」しているから、でしょう。

      他人の意見を否定するときは、キーワードが「朝鮮的」になり、自分の意見を語るときは「人類的」になる訳です。
      多分、無意識に意味の転換が起こっていて、本人は「首尾一貫した語法」のつもりでいるのでしょう。

      ただし「完全に同じ語」を、そういう風に使う事はしません。バレないように「ちょっと違う言い方」をします。
      ※でも、同じテーマについて議論を重ねると、この仕組みが顕わになって行きます。

      なぜ、そういう風に脳(?)が働くのか?
      仮説1「他人の意見を否定し、罵倒する事」で目がくらんでいて、他の事は見えないから。
      仮説2「人類では無く、何か異形の者」だから。
      仮説3「わざとやって、言われた相手が気付くかどうかを、楽しんでいる」から。
      仮説4「何も考えていなくて、本能のままに」。
      仮説5「論理の事象の地平の向こう側に棲んでいるので、こちらの世界にコンタクトする際には、論理の歪みの効果で、自動的に、語意が都合よく変形する」から。

      1. 仮説4かなあ。

        庇護下にあることを意識できない「幼児」なので、本能のままに庇護者に対して「七誌ちゃんの方が可愛いもん!」とアピールしているだけでしょう。

        七誌ちゃんが無意識に想っている庇護者は「愛国心のある日本の大人」であり、庇護者の価値観(何が可愛いか)は我々とほぼ同じなので、部分部分ではそんなに間違っていることは言っていないのですが、「何が可愛いか」を本能的に知っているだけなので、「なぜ、それが可愛いのか」までは思い至らないのです。
        だから、複数の「可愛いもの」に矛盾があると論理がおかしくなります。
        (とろいやさんや私は「なぜ」に興味があり確信犯で「遊ぶ」ので敵。「幼児」に背理法は無理。)

        朝鮮(韓国)も同様なので似た論法を使うのですが、庇護者の価値観(何が可愛いか)の違いでアピールの方向は違います。

  7. さて「【今の中国】は、なぜ拒絶されるべきなのか」

    一言でいえば「危ないから」ですwww
    その危なさは、何に起因するのか。
    それは「中華思想」「似非共産主義(以下、似非共という)」「ハゲタカ資本主義(以下、ハゲタカという)」という「人類がこれまでに生み出した危険思想」の複合体になっているから、です。
    「似非共」は、ソ連他の国家の崩壊によって、放っといても死ぬのが分かりました。
    「ハゲタカ」は、自由民主主義国家では「公共の福祉という修正原理」が働くので、危険では有っても致命的ではありません。

    ところが、似非共とハゲタカが一体化すると、かなり危険です。
    統治原理として共産主義を高々と掲げた「赤色帝国主義国家」が「超絶的巨大企業」に化けて「ハゲタカ」となるからです。
    「国家というハゲタカ」は、手が付けられません。

    そして「中華思想」は、そういう「非道な行いのすべて」を正当化する原理として働きます。
    なぜなら、「漢文明」の「中華思想」の本質は「我々が最高」という「文化的優越」を意味するものではないからです。
    「中華」以外は「国家」ではない、という政治原理であり、
    「中華式」でなければ「文明」ではない、という独善であり、
    「礼法を弁えない者」は「人」ではない、という差別原理です。

    で、まず、中華思想では「人」とは何か?
    答えは「元々、人である者はいない」です。
    「中華式の礼を身につけて、天下を担おうとする能力と意志の有る者」だけが「人」です。「礼」がキーワード。
    「礼」と言えば聞こえは良いのですが、内容は「振る舞い方すべて」が「正しい中華式である事」です。
    で、その「正しい中華式」は「諸説あって定まらない」。

    実態は「権力者の恣意」によって「正しい中華式」が決まるのです。
    論理的必然で『客観的な意味での「人」はいない』となります。
    つまり、中華思想は「人が人であるという事を、人同士が相互に認めない体系」なのです。
    儒教及びその根幹に有った考え方が歴史的経緯によって劣化して、こうなりました。

    1. 「劣化」と言いましたが、ある意味では「進化」なのかも知れません。

      「他者を敵視するのが基本」と固定すると、「人に関する理念」の進化の方向性も「原則として、他者を【人】とは見做さない」となります。
      その「進化」が「行き着くところまで行き着いた」のです。
      どこかで「閾値」を超えたのでしょう。

      別の言い方をしてみましょう。
      中華文明は「野蛮」が幾重にも塗り重なって出来たモノ。
      歴史的経緯をたどると、【「人間らしい文明」が成立しそうになると「ぶち壊される」】というサイクルが繰り返されて来ました。
      で、文明が再構築されるたびに「中華思想」が「エスカレート」して行きます。
      「野蛮が文明を装う」という営為が積み重なるわけです。
      分かりやすく言うと「ヒャッハー!」が積み重なって「より酷薄な方向へと突き進んできた」のです。
      「文明っぽさ」は「様式美と屁理屈」が糊塗しています。

      こうして「人を人とは思わない」が基本の文明が出来ました。
      ゆえに「生物としての人間」は、基本的に「動物の一種」です。
      「食人をタブーとしない食習慣」は、その上に成立したのだと推測できます。
      他の文明圏では「食人は、特別な事」です。
      「相互に認め合うべき【人】である他人を食う事」には特別な理由が無ければならないから、です。
      「基本的に他人は人間ではない」のであれば、食い物が不足すれば、そこにいる「動物の一種」を殺して食うだけです。

      さて、このような文明では、「統治原理」=「牧畜原理」となります。
      他の文明圏では比喩ですが、中華文明では「現実」です。

      1. >「野蛮が文明を装う」という営為が積み重なるわけです。

        中華文明の特質を端的に示していると思います。

        中国の歴代王朝が正史編纂に拘る所以でもあります。正史を編纂した王朝が「文明的」で「正しい」王朝となります。様式美の局地ですね。
        この様式に則って判断する場合、現時点で最後の「正しい」王朝は清王朝です。清史の編纂は大陸と台湾の分裂と対立で未だに「清史稿」に留まっています。中国共産党のときに攻撃的でヒステリックに見える姿勢は、未だ正史の編纂ができていないことから発する自らの「正しさ」への自信の無さの顕れではないかと思います。

        尚、私は中国共産党を共産主義という括りで見るよりも、中華王朝という括りで見ています。
        彼らは中華王朝としての自信が無いが故に周囲に中華的な「正しさ」を確認するように求めます。しかし、それは中華文明圏外には通用しませんし、秩序を乱す危険な行為ですから軋轢を産みます。

        中国共産党が中華王朝としての自尊心を満足させるには、まず台湾を攻め滅ぼして中華的「正しさ」を満たし、次いで周辺国がその「正しさ」を追認するしかありません。そして、周辺国とは最終的には全世界になりますから、中国共産党の野心は世界征服に行き着くしかなくなります。

        1. 最後の一文が悩ましいのですよね。

          歴代の中華王朝は、天下統一後は基本的には引き籠もっています。中華的「正しさ」が必要なのは天下(中華)の内部だけなので。
          (例えば、中華思想を否定する日本と戦ったのは、中華に毒されなかった元を除けば、日本が中華の一部である朝鮮にちょっかいを出した時だけです。ベトナム王朝が皇帝や独自の元号を使用することも黙認していました。)

          中華は豊かなので、皇帝にとっては中華の民さえ支配できればそれでいいのです。武力では勝てない周辺の「夷狄」とあえて戦わされてはたまりません。だから、中華と夷狄を「区別する」ことで引き籠もる大義名分が中華思想なのです。
          ただし、中華思想を観念的に信じ込むと夷狄を成敗する方向にも向かうので、そこは皇帝の手腕次第です。
          ただし、そこそこ豊かな中華の民にはどうでもいい話なので、官僚さえ統制できればそれで良かったのです。(皇帝が中華思想を観念的に信じ込むような愚帝の場合は即亡国です。)

          これを今の中国共産党に適用できるか悩ましいのは、民がまだまだ豊かではないのと情報化社会になったことで民を思想統制しなければならず、中華思想を観念的に信じ込んだ貧しい民の圧力に動かされかねないところです。習近平は「愚帝」のようですし。

      2. MS‐06さん、mottonさん、レスありがとうございます。

        ちょっとだけ。
        「中華思想だけ」なら、世界征服という構想を描く能力に限界が有るので、愚帝が「やろう」としても、自壊するだけでしょう。
        ところが、そこに「似非共産主義」と「ハゲタカ資本主義」が加わると「世界征服の具体策」が描けるようになります。

        ハゲタカが全体をリードして「エサとして他文明圏を啄ばむ」という状況を実現したところで妥協するかも。
        統一帝国ではなくて、ゆるやかな連邦制の外観を取る、と。
        それでも、他文明圏には「ものすごい迷惑」です。
        「似非共産主義による圧政と中華思想による生活文化に至るまでの押し付けによる中華化強制」と「中華系移民による多数派形成」が、必ず付随するから、です。

        チベット・ウィグル・内モンゴル・満州+漢文明圏の内側で少数民族相手に、今それが実行されている訳ですから。

    2. 『中国外交トップ「チンピラ発言」の狙いは自分の出世?』
      ttps://news.yahoo.co.jp/articles/d57f3726344b801a9ca0c5a8dbe178ffa0011ca5

      これを許す習近平はやはり「愚帝」

  8. さて、話を先に進めましょう。
    中華思想における「国家」とは、何か?

    中華思想をこじらせてしまうと「天下=国家=オレ様」となります。
    中華思想は「中華帝国」以外に「統治機構」を認めないからです。

    元来、今に生きている「中華思想」は「朱子学」によって純化というか過激化というか「原理主義化」されたものです。
    「トンデモ化」と言ってもいいぐらい。
    北方遊牧帝国によって圧迫され、中原の支配権さえ失って、江南に成立した亡命政権である南宋の「正統性」を誇張し、糊塗するための思想が「政治思想としての朱子学」だから。

    で、原理主義化された点は「中華の正統な皇帝以外に、天下の主は有ってはならない」+「中華の礼を身につけた士大夫以外が政治を担う事は、有ってはならない」です。

    儒教の不徹底な思想が、ここで「絶対のドグマ」に変質しました。
    この「原理主義思想である朱子学の発想」が「今でも中国の政治思想の根本」に在ります。
    つまり「中華帝国以外の国家が存在してはいけない」のです。
    ですから「中華思想」は、政治思想としては「ファシズム」より「共産主義」より、ずっと純度の高い危険物です。

    その時代の国際関係を理解しない愚物が「中華の皇帝」になると、この愚劣な原理主義を「実現」させようとする訳です。
    そして「国家」が「ハゲタカ企業」として暴利を貪ろうとすると、かなりの暴利を獲得できるでしょう。
    で、その暴利が「世界統一の資金」に化ける、という構造。
    しかも「共産主義」が「資本主義国際社会において【武装したハゲタカ企業】として振舞う事」の理論的根拠を与える、という皮肉。

    1. 補足
      「中華の正統な皇帝」というのは「現在の権力者」
      「中華の礼」というのは「現在の権力者のやり方」
      です。
      「正統」も「礼」も、その程度のシロモノでしかない。
      それを「壮大なウソ」で、もっともらしくしているのが「朱子学」の「方法」です。
      儒教を否定した振りはしていますが、その「壮大なウソ」だけを、
      「方法論として」、今の中国は、しっかりと受け継いでいるのです。

  9. さて、今日の夜にでも、続きを書きますが、予告編を。

    「中華帝国の問題点」の内「権力構造の必然的腐敗」について述べます。他の文明に比べて「腐敗の頻度」が大きく、しかも必然性が有り、腐敗が社会を崩壊させる圧力が高いのです。
    その「腐敗圧力」が、今や全世界に及ぼうとしている訳ですね。
    しかも「中華思想」と「共産主義」が「腐敗を正当化するツール」になっています。
    「人権」とか「多文化共生」とか「融和」なども、便利なキーワードとして利用されておりますが。

    なぜ「中華帝国」は常に腐るのか。
    「腐ってやがる」
    「早すぎたんだ」
    じゃ、ないんです。

    一つは「豊かさ」と「貧しさ」のバランスが悪いから、です。
    もう一つは「統治の効果」が末端まで及ばないから。
    そして、もう一つ「孝」のはき違え、です。

    1. 豊かさと貧しさのバランスが悪い。
      これが致命的な弱点です。
      一言で表現すれば「短期的に豊か過ぎる」。

      中華文明が興った地域とは、黄河中流~下流+淮河流域+長江流域です。
      最初は「黄河に沿って連なる、天水農耕でも、そこそこの生産力が有る地域」でした。

      より具体的に言うと、「夏王朝」は、江南から進出した農耕民が「治水のしやすい河南省北部」で都市国家を営みました。
      その夏王朝の文化を、北方半狩猟半農耕民である民族が簒奪して「殷王朝」を営みます、これも都市国家。
      さらに、それを西方半遊牧半農耕民が簒奪して「周王朝」を、これもまだ都市国家です。

      「後に漢字と言われるようになった文字」が、夏か殷の時代に祭祀用として成立し、やがて「記録に便利」なので、文化の柱になりました。この「漢字」を承継しているので「同一民族」の振りをしていますが、別系統の民族集団です。
      しかも各王朝の支配下には、また別の民族集団が在りました。
      要するに、元々「多民族国家」なのですが、それが「単一文化」を共有して、あたかも「単一民族であるかのように」国を形成しているのです。

      この三王朝が興亡を繰り返した地域は、古代レベルだと「非常に食糧生産力が高い」のです。
      黄河そのものは暴れ川ですが、その支流・周辺の山脈から流れ出る中小の河川は、流域に「農耕適地」が豊富です。
      で、今の地名で言うと、洛陽盆地・関中盆地・大行山脈の中と麓の中小盆地と平野・山東半島山地の西麓辺り、こういう所に「都市国家群」が成立した訳です。

      この地域は、黄河本流と比べると「治水しやすい」、そこそこの天水にも恵まれている、そして黄砂が絶え間なく降り積もる事によって「施肥」が自然に出来ている。
      (※後に、黄河下流デルタの農地化に成功すると、黄河の氾濫が「とても素晴らしい施肥」になります)
      農学の専門家に詳しい事を聞いてみたいのですが、あいにく知り合いが無い。
      なので、以上は「素人の想像」です。
      しかし、この地域が「生産力が高いとされている地域」なのは事実です。

      そういう「古代としては生産力の高い地域」に「治水技術を持った集団」が都市国家をいくつも形成しました。
      さらに生産力は上がります。
      その「向上した生産力」は「大きな人口を支える能力」を持ちます。この「人口保持能力」が発揮されて「大きな人口」がこの地域に集住して「大きな国」を作ります。
      これが「豊かさ」です。

      ところが、古代の技術では、この「大きな生産力」を維持できない。(※近世まで同じでした。いや、今でもか)
      天災・戦乱・気象変動のいずれかが起こると、たちまち「食糧不足」となります。
      「豊かな時代」に大きな人口を養っていた地域に、一気に「飢饉」が来ます。
      「その地域で今年生産できた食糧:昨年まで食っていられた人口」の比率の問題です。
      「食えない人」が「膨大な数」になる。
      これが「貧しさ」です。

      この構造は、皮肉な事に、長江流域が開拓されて穀倉地帯がより潤沢になると、さらに極端になりました。
      「ある地域の局地的貧困」が、「流民」によって「他地域」に波及し、それが「政治的混乱」を生んで、「貧困」が「全国的」になるから、です。
      「江浙実れば天下足る」は「江浙実らざれば天下飢える」と同義語という訳です。

      中国は「非常な豊かさ」と「非常な貧しさ」が表裏一体になっている国なのです。
      「冨」に有っても、常に「貧」を意識しなければならない。
      ゆえに「他の人の事を思いやる余裕」が無くなります。

      「救荒という考え方」の対象が、「社会全体」とならず、「自分が危機に陥った場合」だけ、になります。
      これが「腐敗」の第一歩。

      1. 「統治構造の問題」としては、「国家機構」から「民衆」までの間に「様々な夾雑物」が在る事。

        中華の統治構造は、複雑です。
        「皇帝」の下に「大臣」、その下に「副大臣クラス」、その下に「実務責任者である局長クラス」、その下に「実務担当者である職員」という具合にさえ、行きません。

        その中間に「口利きをする者」が多重に存在します。
        「皇帝」と「大臣」の間にさえ、
        「宦官」がいたり「寵臣」がいたり「秘書官」がいたり「皇后」がいたり「外戚」がいたり…

        ふつうの農村に住む農民が「町に行って、役所に、土地の境界争い」を訴えようとすれば、似たような事になります。
        「裁定の権限が有る県知事(町長クラスですね)」と「農民」の間に、それはそれは「いろいろな者」が…

        古代から近世に至るまで「統治構造」が真剣に論じられて来なかったから、だと思います。
        「士大夫の民に接するは、仁をもってこれを行うべし」
        こんな、ただの「スローガン」しか、「行政組織論」として提示されてこなかった訳ですよ。

        漢文の恐ろしさは、こういうただのスローガンが「もっともらしく見える事」と「論理的必然性が証明されたように見える事」です。

        「いくつかの事実が連続して起こると、そこに因果関係が有るかのように見える」という「錯覚」は、ヒュームが見破るまで、人類は錯覚である事に気が付きませんでした。
        同じように、
        「いくつかのテーゼが連続して提示されると、そこに論理性が成立しているかのように見える」のです。
        この錯覚は「漢文という表現形式」において、顕著です。

        ゆえに、中華文明では「論理的検証」が、ほとんどの分野で行われて来ませんでした。
        技術は洗練されても、科学が成立しなかったのは当然です。
        誰も「モノを、具体的には、考えない」のですから。

    2. さて、今日は「中華の統治構造の限界」について。

      実は、他の問題点も同様なのですが、「欠陥」としては、他の文明圏も同じ問題を抱えています。
      中華文明の場合は、その問題点が「極端」でありながら「問題が無いかのように糊塗しようとして、かえって傷を大きくしている」ところが「真の問題」です。

      「政治の腐敗」が深刻な文明・文化圏は、すべて「統治構造が、上っ面だけ」なのです。
      民衆まで「統治の効果」が及びません。

      で、次のような「腐敗の要素と効果」が顕著に。
      1、公務員の生活と身分が保持されないので、公務員は「職権濫用」しないと「生活できない」。
      2、なので、民衆が「統治の効果」を享受するためには「幾重にも賄賂を重ねる必要が生じる。
      3、統治効果としてのインフラ構築が出来ないので「天災」が直ちに「人災」となって「巨大な災害」となる。
      4、民衆は、長期的には「定着」できない。

      中華文明の場合は、このような構造の上に「統治行為の理念が練り上げられているので、《まるで、きちんと統治構造が機能しているかのような錯覚》が生まれる」のです。

      古代から「政治理念」が様々に論じられてきた結果、
      「統治構造がどうあるべきか」
      「為政者の姿勢はどうあるべきか」
      こういう事の理想像が「確固たるモノ」になっている…かのような錯覚が生じています。

      実は、全然「為政者の理想像」は確固たる姿が提示されていません。すべて「絵空事」です。
      具体的な「政治家の姿勢」は、省みられません。
      かえって「現在の権力者」が「為政者としての理想像を体現しているかのような見せかけ」が強調されるだけです。

      話が長くなりましたが、これで、このテーマの半分ぐらいを、ざっと述べた、という程度です。
      他に、いくつか「中華文明で、政治の腐敗が必然的である事の理由」が有ります。

      最大の理由は「中華文明の叙述(又は論証)の形式」です。
      ヒントは「ヒュームの哲学」。
      続きは、また明日。

  10. (´・∀・) ほうほう…次の一歩は?
    為政者の中央集権的な何か(権力と富の集中)かな?あるいは中国の思想の、どこまでを自分たちの帰属(救済対象と)する集団(血族)としているかで、その拡大による不正の規模のスケールアップの話になるのかな?
    (`ロ´;) 大人しく次をマテ

    1. みかげさんへ
      ツッコミ、ありがとうございます。
      誰もツッコんでくれないと寂しいですから、とてもありがたい。

      この後、述べるのは「為政者の中央集権的な何か」が、実は「統治構造」としては、全然機能していない、という事です。

      前近代では、どこでも「そう」なのですが、中華世界では「ずっと、そうだったし、今もそうなのだけれども」いかにも「統治構造が末端まで浸透しているかのように」振舞っている。
      ここに欺瞞が有ります。
      その「欺瞞」を、まず明らかにして、
      その欺瞞が「誤魔化され」、やがて「誤魔化し」が正当化されて行く、その事について、述べます。

      大人しく次を待たずに、このテーマについて、思う所を言ってもらうのも、歓迎ですよ。
      と言うか、そうして欲しい。
      所詮、素人の「井戸端会議」ですし、「ネトウヨがホルホルしてるだけ」ですからwww

      そう言えば、このブログの投稿者の中の「最高の権威者:すべてを見通す者:究極の予言者」は、ここに寄り付きませんね。
      なぜでしょう?
      「日本語が不自由だから」かな。

      今日は、ちょっと呑み過ぎたから、明日にでも続きを。
      6時から呑み始めて、すでに…

      1. (;`ロ´)6時から!?すでに酔っ払いじゃないか!
        (・ω・;) いや、ツッコミってそういうツッコミじゃ…

      2. 始皇帝による統一以前と以後で違うんでしょうね。
        統一以前は、名目上の最高権威に周王(天子)がいて、各国に王(侯)がいて、各国内の貴族(卿、士大夫)がそれぞれの領土(邑=城壁に囲まれた都市)を支配していました。
        日本や西欧の封建制(Feudalism)とは違いますが、同じ封建制と言われるだけあって、基本は土着の氏族共同体です。
        日本の律令以前や大和王権や鎌倉以降の武家社会と同じで、基本的に明文化された法令や統治機構を必要としません。慣習法でよく、またそれが王や士大夫をも縛ります(「刑は大夫に上らず」でよい)。治める地や氏族を失えば自身も終わりですから。天皇と同じです。支配者ではありません。儒教の理想世界です。

        この牧歌的な世界は春秋時代から崩れていきます。
        中国史上初の成文法は鄭の子産によるものとされています。
        鄭は強国でありませんが豊かな国だったので多様な人々が流入して氏族共同体では無くなったために成文法を必要としたのではとされています。
        戦国時代になって国々が併合されると、滅ぼした敵対国の民を支配しなければなりません。その結果、法家の法治主義が必要になりました。その最終形が始皇帝による統一です。

        日本の大和王権による統一との違いは、同族になれたかどうかでしょう。中国の方があまりにも多様な民族がいたゆえ、または豊かさ(貧しさ)ゆえ、または夷狄への対応ゆえ、時間をかけた同化よりも早急な支配を選択するしかなかったのかもしれません。

        しかし、秦の法治主義による異民族支配は当然強烈な反発を生み、後継の漢はその支配原理に儒教を選択しました。成文法を必要とした時点で時代遅れの思想を選択した(選択するしかなかった)ことが中国の後世を決定づけた様に思います。
        「漢承秦制」とあるように儒教だけでは問題なのは名君・名臣は分かっています。現実主義で統治しようとすれば当然分かるわけなのですが、儒教の古典による教育過程で刷り込まれるんでしょうね。

        ttps://ja.wikipedia.org/wiki/子産
        の内容が示唆に富みます。「私は不才ですので生きている間の事を考えるのが精一杯で、子孫達のことまで考えてやれません」とか。
        孔子が成文法を否定しながら子産に私淑した意味をどれだけの中国の支配者が考えたのでしょうか。
        「漢承秦制」とあるように名君・名臣は分かっています。現実主義で統治しようとすれば当然分かるわけなのですが、儒教の古典による教育過程で刷り込まれるんでしょうね。

    2. mottonさん、レスありがとうございます。
      独演会より大喜利の方が面白いので、付き合ってくれる人がいると、とてもありがたい。

      で、忌憚のない所を言いますが、mottonさんの指摘した構造は、政治の表側では、確かにそういう風に推移しました。
      秦漢帝国以降に顕著になります。
      それだけでも「腐敗」の原因には、充分になってます。

      ところが「論証の形式」という「モノの考え方」を見ると、もっと「根が不快」と思います、ありゃ「不快」になっちゃった…まあ、これの方が適切かも知れませんが「根が深い」ですね。
      それを、私は言いたい。

      春秋時代の前から、すでに「論証の形式」が「古人曰く、○○。よって××。ゆえに▲▲」という形だと思われます。
      少なくとも、春秋時代以後、この形式が「アウフヘーベン」されませんでした。
      ずっ~~~~~~~~と、このまま。
      「AなんとなればB、C極まればB、古言に曰くC。ゆえにA」
      こんな感じです。

      本当の「論理的検証」とは、一つは「BからA、CからBの論理の展開に、必然性が有るか」を詳細に検討する事、です。
      もう一つは、「公理」にあたる「C」は「何ゆえに公理なのか」を検証して「論理の基礎」を形成する事です。
      中華文明では、そこが「何も検証していない」に等しい。
      「古言に曰く」で「すべてが正当化される」という構造だから、です。

      なぜでしょう?
      古代から現代まで、中国人は「全員がネトウヨでホルホルしているだけだから」で「つまり馬鹿だから」です。

      「力押しだけで支配権を握る集団」が、入れ代わり立ち代わり出現するのが「中華の歴史」です。
      つまり「次々に《ヒャッハー!》が入れ替わる」だけ。

      あまりにも低レベルの「征服者」が、次から次に出現するので、知識階級は前時代の「ホルホルの仕方」を支配層に教え込むだけで精一杯だったのです。
      それが「儒学」です。

      何しろ、この「ホルホルの体系」は、すばらしく洗練されていて、「とても偉そうに見えるという効果」が絶大なのです。

      「人を食ってはいけない」ではなくて、
      もっと大切な「なぜ人を食ってはいけないか」でもなくて、
      「人を食う時は、皿の角度をどのぐらいにすると、支配者に相応しい様子で、偉そうに、もっともらしく、見えるか」という「壮大な体系」です。

      で、「支配者ではない人々」は「皿の角度を気にせずに、人を食う」と。

      1. 私はちょっと違う見方をしています。

        日本の「法の支配」は御成敗式目に始まる(律令のより消えかけたものを再興したのかもしれない)と思っています。式目は慣習法なので法源が慣習すなわち武士に共有されていた「道理」なのです。それは(生き残っているゆえ)必然的であり、共有されているので、「なぜ」を論理的に突き詰めて体系化する必要がありません。理想状態ならば成文法である必要もありません。(式目は律令に対抗するために成文化する必要があった。)

        成文化にはデメリットがあります。儒教が言うような、愚民が法を知れば脱法行為をするといったチンケなものではありません。
        環境が変わると合理性に基づいて法も変えなければならないのに、成文化されているとそれを押しとどめてしまい原理主義化して非合理化してゆくというものです。子孫の自由を奪ってしまうのです。慣習法ではなく継受法だと顕著です。これが律令や近代憲法の最大の弊害です。
        論理的に精緻であればあるほどそうなります。そして、神ならぬ人間には、未来の環境変化まで予測した上で論理を構築して法を制定することは不可能です。

        「私は不才ですので生きている間の事を考えるのが精一杯で、子孫達のことまで考えてやれません」と言った子産は偉大です。
        成文法という大改革をするなら「天才である私が作った、素晴らしい理想と論理に基づく、この法を用いれば未来は安泰だ」と言うほうが自然です。律令や近代憲法はそう言って制定されています。

        中国史は「次々に《ヒャッハー!》が入れ替わる」歴史です。
        その結果、必然的で共有される慣習法が生まれません。(誰かが考えた)理想と論理に基づく法で支配するしかありません。
        必然的ではないので、「公理」の検証なんかしてはいけないのです。(宗教の経典と同じですね。神の存在を証明しようとしてはいけないのです。)
        だから、それを誤魔化すために壮大な体系で飾りたてるのです。「文字」という権威を使って。

        慣習法(保守主義)の世界では、「なぜ人を食ってはいけないか」は「食ってこなかったから(それで上手くやってきた)」で終わりです。
        ここで、終わる方がいいのです。
        確かにほとんどの環境下では「食わない」方が上手くやっていけることは、おそらく証明できるでしょう。しかし、それは「食う」方が上手くやっていける環境の存在を否定できません。
        しかし、「食う」可能性の存在は「食ってこなかったから(それで上手くやってきた)」人々には生理的に受け入れられません。(頭では分かっても心が…というやつ)
        保守主義の世界ではその存在は認識されません(「食わないと上手くいかない」環境になってから初めて認識され「食う」)から問題ありません。
        しかし、理想主義の世界では認識してしまいます。そして、否定する(「食わない」のが人間として「正しい」という理想をでっち上げる)か、積極的に肯定する(「食う」にはこうするのが「正しい」という体系をでっち上げる)という誤魔化しでその存在を無理矢理受け入れます。その結果、歪みます。

        自分は馬鹿だと知っている馬鹿はまだ大丈夫です。問題は、自分は馬鹿ではないと過信している馬鹿なのです。宗教の原理主義だの共産主義だのロクでもないのは全部そうです。掲げる理想の内容以前に、理想を掲げること自体に危険があるのです。
        自分は馬鹿だと認識して理想を追い求め続けるのではなく、理想を受け入れた自分は馬鹿ではないと誤認すると終わります。

        前掲の子産の言葉、光武帝の「朕無益百姓」の遺言、宋太祖の「不得殺士大夫、及上書言事人」の遺言、中国にも人はいて評価されてはいるのですがね。

  11. と「古人とか掲げてる理想が、もうね…」
    m「理想はともかく、体現したとか思う人々がね…」

    問題は、理想かそれとも人なのか。そう導く思想なのか。
    でもわりと東洋西洋問わず、理想を体現した(と思ってる)人や社会は澱んでいたり。
    歪みや歪さの自覚とそれに向かい合った時の処理やバランスを保つのは案外難しいものかも?(輝ける理想がそれを覆うのかな?)

    (`ー´)=3 古人曰く「食う寝る遊ぶ!」
    (´ロ゜;)そういう理想じゃ…てか古人じゃないし

    1. m「理想を実現すれば解決すると思う時点でもうね…」
      かなあ。

      韓国がーとかアベがーより、大事な人と「食う寝る遊ぶ」方がいいじゃないかなあ。

      1. >「食う寝る遊ぶ」の方がいいじゃないかな
        \(´^`)/ ドヤッ ←体現した
        (・ω・;)その文の前半どこ行った?
        \(´^`;)/ ・・・

  12. と『「敗訴した被告」は「判決内容を実現する義務」は負いません。
    「【勝訴した原告が、判決内容を執行する】のを受忍する義務を負う」だけです。
    裁判とは、詰まるところ、それだけの効力しかないし、それだけの効力しか与えられてはいけません。過剰な効力は「司法による独裁」を生みます。』

    おおー、そうやって民主主義のバランスが保たれているのかーと納得。納得しても活用することはなさそうだけど。(あってはいけないか。)

    ふと中国の王朝で、皇帝のお気に入りの法律家(だったか)が法律を活用し、人々を粛清、思うがままに振る舞い国を乱したのを思い出しました。
    近代になっても権力のバランスの均衡を保つのって大変なのですね。
    国民に多くを預けすぎるのもなんか衆愚政まっしぐらっぽくてイヤだけれどね。

    1. 原告「名誉毀損ニダ」
      司法「根拠は?」
      原告「みんながそう言ってるニダ」
      司法「棄却」
      原告「アイゴー」
      ムンその他「”みんなが言ってる法”を上程するニダ!」

      1. 「みんなが言っている」の国民情緒法では、ケシカランと時空を歪め、事後法すら成立するのです。

        中国では共産党が法の上の立ち、韓国では国民情緒が上に立ってるのかな?
        (韓国大統領は期間限定で法の上に立つだけで任期が終われば、法が期間内の行為に適用されて、ほぼ全員有罪にできます)

        やっぱり、韓国が目指すべきは、中国型か北朝鮮型かな?

  13. さて、今日はちょっと横道にそれてみます。
    「戦争の中国古代史」という本を読みました。
    (佐藤伸弥著・講談社現代新書)

    そこで、春秋時代に「華夷思想が、明確化してきた」というところが有ります。
    その思想の根幹は、よく言えば「家族主義」です。
    周王朝を宗家と仰ぎ、周と同姓の諸侯は親族として、異姓諸侯は「婚姻関係が成立する者だけ」が母方の親戚として、「人間扱い」されるわけです。

    しかも、この「家族主義」の根幹:「同姓又は通婚関係にある、という認定」は「実質を反映していない」のが、特徴。
    「先祖の来歴」はほぼ神話の世界ですが「同じ先祖を持つ」という設定が周王朝によって受け入れられれば「同姓」という事に。
    また「周王朝、又は公認された諸侯に嫁を出した国」でも「なぜか分からない理由」で「華」か「夷」かに分かれます。

    2,000年近く前の話で、ほとんど神話ですから、その基準は不明。実にあいまいである事だけが明確です。
    まあ、はっきり言えば「デタラメ」ですね。
    こういうのも「事実を見ずに、勝手に作った設定を物事の基準にする」という中華の悪弊の現れだと思いました。

    「現実主義」が「事実をありのまま見る」ではなくて、「近視眼的に短期的利益を取ってしまう」という方向にだけ発達して行くのが、中華の思想史・政治史ですが。
    「思考の形式」に、この「デタラメ・事実無視」が固定してしまったからでしょう。

    事実を見ようとしなくても、
    「モチを持っている奴がいたら、殴り飛ばして、モチを奪う。それが利益である」というぐらいの判断ならできます。
    事実をきちんと見るのなら、
    「モチを持っている奴から力づくでモチを奪っても、次には逆にこちらがやられるだろう。だから、親しくしておいた方が得だ」という判断も可能になります。

    しかし「中華の脳内設定」は「モチを食えば得」で完了している訳です。
    「事実」は、本当に「目の前」しか見えない。
    後世に至って「目の前に突きつけられても、見ようとしなくなる」わけですが。

    そういう「極端に短絡的な思考」しか出来ないのが、中華思想の特徴ですが、その原因は、一つにはこれであろう、と。
    「設定絶対主義なのに、設定基準はデタラメ」

    1. >「設定絶対主義なのに、設定基準はデタラメ」
      いやいや、それこそ《正統》では?
      それが易姓革命だって、教わったんだ。
      「ヒャッハー」元祖の陳勝呉広も「王侯将相いずくんぞ種あらんや」なんて言っといて、勝ったらすぐに姓を変えてる。
      しかし不思議なのは、なんで900人ほどの反乱軍が数ヶ月で何十万人にもなるんだ?????

      1. >なんで900人ほどの反乱軍が数ヶ月で何十万人にもなるんだ?

        反乱が起こる状況では、食えなくなった流民が発生しています。
        彼らは他の地域を襲うとそこもまた食えなくなりどんどん増えます。ただし、烏合の衆なので軍隊には勝てず都市は落とせず、流民としてうろうろしています。
        ところが、ちょっとしたカリスマ性のある指導者と用兵に長けた参謀を擁した集団が登場するとあいつらに付けば食える!となってあっという間に集まってきて万単位に。
        共産党までずっとこれです。

        >易姓革命

        古代中国の王族・貴族は、日本の氏(うじ)に相当し神話の三皇五帝からの男系血統を表す「姓」と苗字に相当し家系を表す「氏」を王族・貴族が持っていました。(日本でも源姓徳川氏という感じで、氏・苗字を中国風に姓・氏とすることもあります。)姓は男系ですが、その多くはなぜか漢字に「女」を含みます(太古には女系だったのかもね)。
        例えば、始皇帝の姓は「嬴」、氏は「趙」です。張良の姓は「姫」(周王室と同じ)、氏は「韓」→「張」です。

        ところが、劉邦は「姓」を持ちません。以降、姓=氏となっていきます。
        しかも、劉邦はその父の諱も母の氏も諱も不明です。いくらでもでっち上げられたであろうに、そうしなかったことは、劉邦が正統なんかどうでもよく自分の実力だけで天下を取ったという自負があったからなのではと思っています。「王侯将相いずくんぞ種あらんや」です。

        あと、匈奴に負けて朝貢を受け入れるとか、劉邦に関しては、古代中華の神話・思想と断絶している感じです。周→秦→漢は、易姓革命という感じではないんです。
        その後、儒教が復活して、漢→新(王莽)の時に易姓革命が復活しました。

      2. 「反乱軍」が発生するのは、食いつめ者が増えた時です。
        反乱しない「ふつうの人たち」も、多くは食いつめています。

        反乱軍は、まず「食糧庫」を襲う。
        「食えるように」なります。
        「それなら」と「他の集団の一部」が参加して、人数が増える。

        もっと大きな食糧庫を襲えるようになるので、襲う。
        「もっと沢山の人が、食えるようになる」
        また参加者が増える。

        ほんの数か月で「参加者」は膨れ上がります。
        その中の「敏捷か頑丈な者」「武術を身につけている者」「武器を持っている者」が兵士になります。
        ものすごく有能な者は、将軍や参謀や軍吏になります。
        そうでない者は「後方支援」をして「分け前にありつこう」と、します。

        こうして「流民の群れ」が「反乱軍」となるのです。
        要するに「いろんな流民の群れが【食えるようになった群れ】に吸収される」という現象です。

        1. 読み返してみたら、mottonさんが書いてるのも、前半は同じ話だった。
          失礼しました。

          これだから、酔っぱらいは。

  14. 非常に嬉しい事が有ったので、記しておきます。
    田中克彦さんの「ことばは国家を超える:ちくま新書」を読んでみたら、こういう箇所が有りました。

    「シナ語の議論の中で浮かび上がってくる、それぞれの言語が論理的思考に適しているかどうかという問題」について述べたドイツのギッパーという学者の著書(1963)の中に、
    それについて、張東蓀という中国の哲学者が、「シナ語のような言語できちんとした政治議論ができるかどうか、シナで生じる様々な政治の問題はシナ語の構造のために生じているのではないか」と問題を提起した、というエピソードを紹介していた事が有った。

    これについて、田中教授が数年前、内モンゴルでの学会で(議論してみたい、という趣旨で)発言したところ、「外国語の悪口を言ってはいけない」とドイツから来た学者に「口を封じられた」。
    で、内モンゴルの学者が「不本意そうに」口封じに同意した。

    中国の学者でも「物事を真面目に考えれば、思考能力が有れば、思考する事を権力によって封じられていなければ」、中国語が「思考には不適である」という結論に達して、それを公刊される論文に書くことも有るのだなあ、と。
    そして、もちろん「今の中国政府は、それについて論ずる事を封じ込めようとした」と。

    それにしても「数年前」というと、2010年代になってから、ですよね。田中先生という人は、実に面白い。
    学識に基づいていろんなエピソードや学説を説明してくれる部分は、とても参考になる。
    ご自身は「共産主義のシンパ」であるようで、自分の政治的意見を述べている部分は「箸にも棒にもかからない愚論」が多い。
    でも、こういう発見が有るので、政治的立場に関わらず、碩学の話には耳を傾ける価値が有ります。

    このエピソードを紹介する意味は、突き詰めれば一つだけ。
    「中国語では思考できない」と「中国人も感じている」。

    1. >「中国語では思考できない」と「中国人も感じている」。

      ブルースリー「Don’t think. Feel!!!」
      中国では考えてはいけないのだ。

      香港「中国と一緒にしないで!」

      ――――――――――――――――――

      混ぜっ返すのはさておき、「中国語では思考できない」ことの中国語の構造的欠陥って何でしょう?
      「言語に構造的欠陥欠陥がある」から「中国語では思考できない」という論理になるわけで。
      私は外国語には堪能というわけではないので、はっきりとはわかりません。英語すら怪しいレベルですし。

      一つ思いつくのは「漢字」でしょうか。「漢字」そのものが悪いというより「漢字」のみでの文章構成に問題があると思います。「漢字」は表意文字で、一つ一つに意味を内包してるので、新たな概念を表記するのが中々に困難だと思います。
      例えば外国から未知の概念が入ってきたとして、それを「漢字」で無理やり音写すると意味不明な文字の羅列になります。もともとの「漢字」の意味を無視して音写しているわけですからね。「夜露死苦」みたいな感じでしょうか。
      この場合、「漢字自体の持っている意味」と「漢字で無理やり音写した音声の意味」の二つが生じるわけです。混乱しそうですね。既存の概念だけで議論するならともかく、未知の概念も交えて議論すると、議事録が訳の分からないことになるでしょう。
      日本語の場合、未知の概念についてはひらがなカタカナで一度表記し、意味が解ってくると漢字を当てればいいんですが、漢字のみだと苦労しそうです。

    2. 五寸釘さんへ
      レスありがとうございます。
      以前に何度か「素朴な素人考え」として述べた事ですが、
      「漢文には【文法表示機能】が欠けている」から、です。

      田中教授は言語学者ですので、この本の中では、言語の構造からその問題を導き出している例を、いくつか紹介しております。
      田中教授自身が「孤立語」における「文法表示機能の不全」について考察している部分も有ります。

      漢文は典型的な「孤立語」です。
      古代において、それをそのまま読み下す習慣が共有された「中華諸族」の間で「言語のピジン化」が起こり、中国語(口語)の原型が出来たものと推定できます。
      ゆえに中国語も孤立語です。

      孤立語とは「単語が孤立していて活用形が無い」という意味です。
      屈折語のように「単語そのものが活用規則によって変形する。前置詞・後置詞の補助を受ける」という事がありません。
      膠着語のように「単語の基幹部分は変化しないが、補助機能を持つ接尾辞等によって語形が変化する。助詞の補助を受ける」という事もありません。
      このように単語の並び方以外に「文法を表示する機能」が無い言語を「孤立語」と呼びます。
      しかも、漢文では、その「単語の並び方の規則」に整合性が有りません。
      ゆえに、漢文とその口語である中国語では、論理を叙述しようとするとき「その言語の使用者が自分で文法規則を構成しなければならない」わけです。
      ふつうの人には、ほぼ不可能です。
      つまり「日常会話」しかできない。

      漢文による膨大なテキスト群が有りますが、そういう訳で、きちんと論理的叙述がなされているものは、ほぼ無い、と思います。
      エピソードの羅列から「論理を推測させる」という手法がほとんどです。論理学の萌芽である「名家」でさえ、そうです。
      つまり「漢文で考えている限り論理的思考はできない」または「漢文では論理を表現できない」。

      言い換えると、言語の論理機能の根幹は「文法の表示」ですから、その機能を欠く言語では論理を示せない。
      従って、これを使用する文明は「論理を欠いた文明」にならざるを得ない…要するに漢文は「文明語」としては出来損ないです。
      なぜ、1,500年もの間、日本人は「漢文」を文明語だと勘違いしていたのか、不思議です。

    3. 台湾や香港という反証がありますよ。
      「思考したい」なら思考できるように言語は進化すると思います。
      漢文は古代中国語ですらなく行政文書用プロトコルなので、漢文では思考は制限されると思いますが、現代のシナ系諸言語は漢文とかなり違いますし(助詞が増えて膠着語に向かっている)。
      日本語でいうと、漢文は「候文」のようなもので、候文では思考も論文も難しいのではないかと。

      # 日本語における思考の文体ってなんだろう?論文の文体は「である」が一般的で、こういう議論だと敬体の「です・ます」だけれど、思考ではどちらも使わない。「だ」かなあ。何か違う。「なり・たり」が思考にも論文にも良さげだが。
      # もっとも、思考では概念を直接操作(?)している気もする。助詞とか助動詞とかどうでもいい感じ。とろいやさんとか絶対そう。発音とリンクされる言語じゃあ思考速度に追いつかない。ん?なら漢文でも良くね。
      # あ。他人のために思考を言語に翻訳した論文などの蓄積の問題なのか。

    4. 現代中国語は、それなりに進化してます。
      ですから、ある程度は思考できるようになっているでしょう。

      一方で、そういう「思考にはもっとも不向きな漢文」を使用して「ごく少数の知的エリートが思考に似た営為を試行して来た」という伝統も有ります。中国の「思考する人」って、ある意味「漢文でも思考できるぐらいの天才」なのではないかな。

      それとはまた別に、一般論として「思考しない」という知的習慣が、庶民の間には何千年も続いている訳で。

      正直に言うと「漢文では思考できない」は極論です。正確には「漢文は思考に不向き」ぐらいかな。
      論理が書き手と読み手の内部にしか存在できず、双方をつなぐ手段がはなはだ貧弱だから、です。

      中国語は「思考に不向きな漢文の伝統を克服しようとして来て、今もそれは継続中」だと思われます。それが実質的な膠着語化ですね。いずれ「助詞」が確定して、本当に膠着語になるのかも。
      「的」なんかは、ほぼ助詞化してますし。

      その成果としてかどうか、近年「中国語でSFを書く作家」が増えて来ました。
      元の中国語で読もうとすると辞書と首っ引きじゃないと読めないので、日本語訳しか読んでませんが。

      1. 人は言語では思考していないのでしょう。
        自身の思考や心情を言語化する時、漢文は不向きなので、他者(未来の自身を含む)に思考や心情が伝わりません。だから、天才の思考が蓄積されません。文学も定型詩しか発達しませんでした。

        自由な思考(の他者への表現)を抑圧する社会でもありましたが(今でもそうですが)、これは卵が先か鶏が先かの問題でしょう。

      2. 面白い指摘が有って、中国文学の最高峰は「唐詩」だと思いますけど、その唐詩は「西方:胡」の影響によって成立した、と。
        魏晋南北朝の時代に遊牧民を介して西方の文化が大量に中国に入って「中国文明が変質した」のは確かですが、韻律の整い方が、それまでの漢詩では不十分で、唐詩でジャンプアップしたらしいです。
        ペルシャの韻律と「漢字」という文字が出会って華が咲いた、というとロマンチックです。

        ついでに、
        私は人類が発明した最高のゲームは「囲碁」だと思いますが、昔は「中国が起源」と考えられていました。
        今は「インド起源説」も有力なのだそうな。
        「将棋類」の起源は、インドかペルシャか不明。ただし日本ルールがもっとも面白い、これは譲れません。
        「麻雀」の起源は、中国だと思いますが、これも日本ルールじゃないと面白くないと思います。

        「ウンコ(遊具として)」の起源は、朝鮮にしてあげましょう。

        1. 囲碁は先手が有利でなければと思います(コミで調整というのが美しくない)。チェスも先手有利(引き分けかも)。日本の将棋の先手後手のバランスは奇跡的です(現時点では)。

          日本の将棋のルーツは良く分からないのですよね。玄怪録の宝応将棋にかすかな手がかりがありますが、ミッシングリンクが多すぎです。いつどこで五角形になったのも分からない。王・将・象・馬・車に仏教の宝物である玉・金・銀・桂・香をいつどこで組み合わせたのかも分からない。そして日本独自の持駒。

  15. 韓国は、なぜ「反日」を国是とするに至ったか。

    朝鮮文化は、
    【「ウリ」と「ナム」を峻別して、ウリの利益だけを追求する】という構成が基本です。
    で、ウリナムの峻別は「てきとう」なのです。

    その場で「もっとも強そうな者」が「棒」を持ちます。
    棒を持つ者は「恣意的に」周囲を殴ります。
    恣意的とはいえ「おもねって来る者」を殴る時は手加減する。
    そういう訳で「ウリとナムを分ける基準」は「棒を持つ者の機嫌」となります。

    さて、棒を持つ者もバカばかりでは有りません。
    阿る方も、バカばかりでは有りません。
    両方が「安全な立場で」利益を貪れるのでなければなりません。
    「棒を持つ者と阿る者の共通の利益」が基準になります。

    前近代では「逆らうものを潰して財物を強取する」が基本。
    ゆえに「逆らう者」を「正当な理由で、潰しにかかる」。
    「逆らう者=正しくない者」という図式に当てはめるために、朱子学が活用されます。
    「正しくない」と決めつけて「安全に潰しにかかれる理由」をきちんと捏ねなければならないわけです。
    「敵」は「正しくない事が哲学的に決定していて」しかも「それを攻撃・指弾・糾弾する事が安全でなければならない」のです。

    ところが、
    この「正しくない」が、現代に至って、とても難しくなりました。
    「朱子学的な正しさ」が通用しなくなったのです。
    で、南朝鮮では「共産主義」と「日帝支配」が【正しくないものとして指弾して良い対象】となりました。

    そこに左派のプロパガンダが成功して「共産主義」を指弾するのは「民族の統一」を妨害する行動である、という捻じ曲げが。
    なので、安全に指弾して良い対象は「日帝」しか無くなったのです。
    こうして韓国は「反日」が国是となりました。
    「安全な敵だから」です。

    しかし、日本が「日本史上例を見ないほどに」強硬になったら、「日帝」も「安全には」指弾できなくなります。
    そうなったら、朝鮮人は「何を敵とする」のでしょう。
    「安全な所から【敵】を糾弾する」のでなければ、ウリとナムを分けることが出来なくなります。
    どうするんだろうね。
    「内部分裂だけのいがみ合い」に縮小するんでしょうか。

    1. でも韓国という国の建国以来の成功体験は捨てられず、また日本が強硬になろうともリスクは米中に比べれば依然低いのです。
      なので当分このままの路線で行くしかないのです。
      というか強化しつつ、先鋭化の道を進んでいます。
      反日は韓国人にとり「元気の源」であり、愛国心の発露であり、民族統一の良いツールになるので、これ以上に有用なものなど現状ではないのです。

      (´ー`) 昨日の会話に合わせて「とろいやというのは本当にわかっていなくてね」と枕詞にしようとしたのだけど、整合性やら文の意図をずらすのやらメンドーになり中止。
      まあ七誌さんはそんなこと気にもしないけど。
      掲示板のコメントの「わかっている最上位」(ブログ主より)を認めさせる上下闘争に邁進しすぎていて、実は「わかっていなくてもいい」のが七誌さんだったりします。
      完璧と思った瞬間から技能は磨かれなくなるというのと同じく、最上位と勘違いした時から思考する努力を怠っているので、感性や本質的な話はいいのだけどそれ以外はまったく話にならないのです。
      (例、徴用工の判決は日韓関係の亀裂にすらならない。レーダー照射問題など1週間で沈静化する、などの予言。他いっぱい。)
      10人いれば10人が理解できることを理解できず、その代わり誰もが理解できないこと、それこそ韓国人でしかわからない感性の話を理解できたりするのが、すごくてすごくないところなのです。

    2. ところでね、
      七誌さんが「反日こそ、韓国の本質」に、こだわっているような印象を受けたので、
      『反日は、韓国の本質ではなくて、ごく皮相的なもので、その先には【もっとおどろおどろしいモノ】が有る。つまり「反日」は「韓国の宿痾」の表面的な症状です』と言ったら、

      七誌さんは、
      『私はそんな事はずっと前から分かっていた。「反日は本質ではない」と5年以上も前から「説いていた」のだ』とおっしゃいました。
      そんな事、言ってたっけ?

      1. >そんな事、言ってたっけ?

        言っていなくても都合が良さそうであれば「ずっと言っていました」「私の言った通りですね」になります。
        以前にも何回か「私の言った通りになりました」と言うので発言のチェックをしましたが該当箇所はありませんでした。1回目、2回目は真面目に確認しましたが、それ以降は無意味と悟りました。

        と『つまり「反日」は「朝鮮文化の本質」ではありません。』
        七「もったいぶって何を言ってるのかは知らんが。」(以下略)

        七誌さんは、とろいやさんの短い文章で何を言ってるのかはわからないけれど、「私は前からそれを言っていた」のです。
        探しても行間の書いてもいないことは常人には読めないのです。
        一応本人に代わっていうなら「韓国・朝鮮人には救いがない」と言った場合、それで全てをカバーできます。上の反日が本質でない、ということまで森羅万象をです。

        そもそも「反日が本質でない」ことを理解しているなら、物事を多面的に見ることもできるのです。
        少なくても、七誌断交論に賛成か反対かで
        ・賛成「あなたは理解できています」
        ・反対「あなたがたは断交だけはならんとメディア含め韓国を擁護し守り、私を責める」
        と見方が一面的で狭いのです。
        (ついでに、何十年唱え続けてきた断交論も国交は断交しない(日韓の大使なくす)し、七誌さん本人が断交だと思ってるから断交だ、という程度の話だったりします。

        要は、いい加減で、適当な事言い過ぎなのです。

      2. 七誌は「レイシズムが本質」とは言っていたかなー。
        でも、レイシズムは本能的で普遍的なものであって韓国(朝鮮)に特別なものじゃないんだけどなー。
        (七誌は普通にレイシストだし。レイシストは、「○○人は□□」と「○○社会/国/文化は□□」を混同して書くから分かる。)

        韓国(朝鮮)の問題は、本能的なレイシズム(ウリと異なるナムを差別する)を合理性に基づいて理性で抑える(利害が共通する者を仲間にする)システムがないこと。
        (とろいやさんが書かれたことを別の言葉で書いているに過ぎません。)

        自立より隷属を選んだ(選ぶしかなかった)ことが原因でしょうが、朱子学の「性即理」の悪影響もあるんでしょう。
        シンシアリーさんもなのですが、「理性」というと道徳・倫理の話になるんですね。単純に「反日(レイシズム)は悪」と言ってしまう。
        「レイシズムは(非合理的ゆえ)悪(という社会倫理が生まれた)」なので、合理性に基づいた社会が確立していれば、それでいいのですが、韓国(朝鮮)ではダメなのです。

        1. 補足

          本能的なレイシズムは、生物の子孫を残す戦略において合理的なので完全に否定すべきではありません。
          社会性生物たる人間社会においては、非合理的(デメリットが上回る)というだけです。

          1. 七誌さん「反日、レイシズムこそ韓国の本質」
            こんなとこかな? 反日とレイシズムがほぼイコールな感じ。

            (´∀`) なんか七誌さんラッパ吹きで大人気ニダ。
            愛されているのですね。

            人気を二分するカニさんの登場はまだニカ?(本スレでしてるけど、なんかあんましぶっ飛んでないのです)

  16. 国語【長文読解】
    主人公の気持ちになって以下の文を読みましょう。

    【1】
    わたしはずっと述べておりますが、韓国に日本の考えを強制あるいは矯正することは悪なのですよ。そして、一部日本人の唱える、「韓国との距離を置いた関係」こそが、絶対悪なのですね。
    そうすれば、韓国は日本を幾らでも卑下しながら、日本との関係を保つことができる。ネトウヨがいかに距離がーと唱えたところで、その距離決めるのは韓国側なのです。菅と韓国人長官の会談で理解できる通りに。
    まあネトウヨには理解できずホルホルだけか。
    【2】
    韓国は最適最善の戦略をとっているに過ぎないのですよ。
    囚人のジレンマ、ゲーム理論で説明すれば。どんなにこちらが裏切っても、絶対に裏切り返して来ない相手には。必ず裏切ることが最適解になり、それしか正しい解はないのです。
    朝鮮人は、正しい解を常に選んでいる。
    それを選ばせているのは、実は日本のほう。韓国と距離を置いたお付き合いをと唱える日本人のほうなのですからね。
    【3】
    【朝鮮人に対しては、もはや一言でも嘘をつくたびに鼻血が出るまで殴るべし。
    一瞬でも裏切るたびに、蛸殴りに殴るべし。それしか躾ける方法は無いのだ、と、あなたはゲーム理論を引用しながら主張しているの、ですよね。それ、正解ですから。】
    ね。コレが一番のネトウヨの間違いでね。
    日本が殴って、朝鮮人に日本が上、朝鮮人が下の関係を強要すれば、たやすく朝鮮人は受け入れるのですよ。恨みを溜め込んで。そして日韓の強い絆ができる。(笑)
    まさに、シンシアリーさんが言うところの、「日本の加害」ですよね。
    ネトウヨは、「日本が上、朝鮮人が下」の関係を望むのです。殴りつければそうなるのは自明なのですからね。
    ネトウヨは、日韓関係を望むのです。日本が上の関係を。これこそが日本人の、最悪の過ちなのですよね。

    【問い】
    主人公の主張から解決策を選択せよ
    ① 断交する。相手から距離を置く。
    ② ゲームの理論に従い、相手の裏切りに対して不利益を与える。
    ③ その他。思いつく解決策を記入せよ

    1. 答え
      ① あなたは間違っています。【1】をもう一度読み直すべし。
      ② あなたは間違っています。【2】をもう一度読め直すべし。
      ③ 七誌式断交。これが正解。
      日韓の大使をなくし、韓国側の大使にペロソナノングラータを出し、国外追放します。国交は何故か保たれていますが、これが最上で最も有効な断交なのです。

      あなたは理解すべき。

      ヽ(´^∀^) ノ ようこそ七誌検定の世界へ!

      1. 修正
        ② あなたは間違っています。【2】をもう一度読み直すべし → 【3】をもう一度読み直すべし

          1. >みかげさん
            ファイティン!
            理解したら「負け」ニダ!?

    2. ③ー1「七誌さんのおっしゃる通り、断交するしかない」
      七誌先生の採点「正解です。あなたはよく分かっている」

      ③ー2「大使館を引き上げて、韓国の外交官にはペルソナノングラータを発動して国外追放するべき」
      七誌先生の採点「間違い」

      ③ー1と③ー2が、どう違うのか、分からない者は「正しい七誌教徒」では有りません。

      1. 採点で思い出した。
        空蝉さん、七誌さんの採点喜んでいて、まるで聖人のようだなと。
        相手のマイナスの面でなく、プラスの面に目を向け育むような良い関係が構築できているのです。

        ただふと気が付く。
        傍若無人に振る舞う夫にそれをフォローし、時に微笑ましく見守る妻のようだと。
        七誌さんと他者との理想とする関係、韓国の求める日本とのあるべき姿だと。
        それはDV夫と妻の関係で、妻はそこで幸せを感じたら「良い関係」が成立するのです。

        七誌さんは変わらない。
        韓国は変わらない。
        ならばどうしたらいいのか?というのが小さなコメント欄から、日韓関係の今の姿なのです。

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