生粋エントリー

※「シンシアリーのブログ」検索で来られた方々へ※

「シンシアリーのブログ」はここではありません。ここはサブブログで、メインブログとは別です。手数をおかけしますが、下のURLに移動してください。

http://sincereleeblog.com/

 

 

“生粋エントリー” への48件の返信

    1. はい。ブログから聞き、お兄様のブログに訪問致しました。ご冥福をお祈りします。

    1. お疲れさまでした。私もこの前、接種券をいただきました。本当に有り難いことです。

  1. 先日購入した
    「自由な国」日本から見えた「不自由な国」韓国
    をつい先ほど読了しました。
    いつものシンシアリー節にクスっとしたり感心したり・・。
    第四章の後半は日本帰化へのシンシアリー氏の覚悟というか決意を感じられて迫力がありました。
    省みると自分は日本人として自覚的に生きていると言えるのだろうかなど思ってみたり・・。
    改めてシンシアリー氏の日本帰化が無事に完了するを祈ります。

  2. シンシアリーさんへ

    もの凄く長文且つ、個人的な話しを含みますので、こちらに書きます。

    『日本、経済安保法の概要が判明・・サプライチェーン強靭化、特許の非公開化など』

    の最後にある、

    >>韓国は『そんなこと、できてはいけない』と思っている・・そんな気がしてならない、今日この頃であります。

    『できてはいけない』
    何故そう感じるのか、“できたら” 聞かせて欲しいのです。

    旧ブログの中に、
    閉鎖されてしまうならコピー取って置きたかったなあ、と思うエントリーがいくつかあって、その中の一つに、
    「病気の家族を助けたい」「ここに特効薬があるのに、持って帰る事が出来ない」
    と、電車の車内広告を読みながら、泣きそうになった話しがありましたよね。

    それを思い出しました。

    心当たりがある。

    できないのではなく、「できてはいけない」と思っているかのように、私の言葉に耳を塞いだ母の姿を思い出します。

    借金踏み倒して夜逃げして、「自分は何も悪い事はしてない。誰にも迷惑をかけてない」と言い放った父方の叔父の顔を思い出します。

    同じく借金踏み倒して夜逃げして、助けてくれなかったと、兄弟を恨んでいる母方の叔母の顔も。
    ( 何故それを知ってるかというと、十数年後、両人別々に別件で会う機会があったからです。その別件も、それぞれ何とか収まりをつけましたが、徒労感は半端なかった。w )

    うちの一族は全員日本人ですが、( 父方も母方も ) このブログでお馴染みの、韓国人により近いのです。

    子供の頃は窒息しそうでした。
    常に「外」へ出たい、「ここ」から「どこか」へ行きたいと願っていました。
    半分は。
    もう半分には、その世界に慣れ親しんだ自分がいて、「ここ」にいたいと望んでいた。

    家族だけじゃなくてね、そんな環境で育ったバカだから、友達もみんなバカばっかでした。
    みんないいヤツで、本当に本当に愚かなバカばっかりだった。

    私は半分、ものが見えていたので、半分しか馴染んでいなかったのだと思います。
    だから、みんなで「外」に出たかった。
    でも、気が付いたら、独りでいるのが平気になってました。w
    「独立」ですね。

    「そこ」から出ようとするのは、居続けるよりずっとずっと難しい。
    自分の全てを引き受けるのは、叫ばずにはいられないほど痛くて、立っていられないほど苦しくて、死にたくなるほど恥ずかしい。
    なんだって自分は、地獄に生まれなければならなかったのかと、親を呪う。
    出ても出ても檻の中で、自由には、なかなか到達しない。
    でも必ず終わりはあって、やがて「外」に出る。

    どうなると思います?
    自由の茫漠さに途方に暮れるのです。w

    あんなに踠いて踠いて出た「外」には、空っぽがあって、自分で好きな事をしていいのです。
    でも、私には何も無い。←今ここ。
    沖縄にも、選んで来たわけではなく、流されて来たのが正直なところ。( でも沖縄には、来て良かったと思ってますよ。)

    ちょっと前に、「韓国を変えられるのは韓国人だけ、韓国を変えたかったら、韓国人が血を流がすしかない。」
    みたいな事を書きました。
    その考えは変わらない。
    けど、韓国人は多分、それに耐えられない。

    私は生まれ育った環境のせい( おかげ )で、日本人も韓国人も大した違いはないと思っています。五十歩百歩だと。
    でもここまで大きく違ってしまうのは、何故なんでしょうね。
    日本という行き止まりの島国には、逃げ場が無いからかもしれません。
    日本人が堪えられるのは、耐えるしかなかったからかもしれません。
    海が日本を作ったのかもしれません。

    シンシアリーさん、

    >>1948年に韓国がどういう立場で生まれたのか、『国家』としてどうなのか、そんな話が必要なのでは。

    大韓民国は、1948年に生まれていますが、「国家」として成立したのは、1965年、朴正煕が日韓基本条約を締結させた時点だと、私は考えています。
    旧宗主国である日本との間で条約を結ぶ事によって、独立「国家」として誕生したと。
    しかし彼は、「国民」を誕生させる事が出来なかった。
    「国民」無き「国家」は、責任の所在を持たず、「群盲像を撫づ」状態でふらふらと彷徨って来たのだと思います。

    そして、日韓基本条約に抵触してしまった事により、「国家」としての「大韓民国」は既に崩壊してしまった。
    今、半島にある韓国は「国家」ではない。

    韓国人は、『国家』としてどうなのかと話す前に先ず、『国家』とは何かを理解しなければならなかったのだと思います。

    シンシアリーさん、もう「帰る場所」ないね。

    1. ふるさとは 恋しと言えど 物の怪の
      うごめく所と なり果つるかも

      ふるさとは いつか帰りゆく 場所ならず
      帰れぬところ それがふるさと

      植物にとって「ふるさと」とは、何だろう?
      それを考えてみたことが有ります。
      風に乗って種が飛んで、どこかに落ちて、芽を出して根を張る。
      ビルの隙間でも、道路わきでも、そこに生えれば、そこがふるさと。選択の余地が無い。
      植物の「生」は過酷なのでしょうか。
      どうなのか分かりませんが、動物でも人間でも、あんまり変わらないような気もします。
      案外、最初に風に乗ったところが「ふるさと」だと、植物は思っているかも。

      人にとって「ふるさと」は「物心のついた場所」だとも思います。
      そうすると、それは「時の彼方」にあって、二度と帰れない。
      それでも「ふるさと」は連綿と続いていて「今」に繋がってもいる。どんなに変わっても「ふるさと」は「ふるさと」。
      「ふるさと」とは、「なつかしい記憶」と「生々しい現実」が交わるところに在る。
      そういう意味の「ふるさとという感覚」が、朝鮮文化には有るのでしょうか。
      ちょっと疑問を感じてしまいました。

      1. 首都圏都市部に生まれ育った娘たちは、もう我々の「ふるさとという感覚」はないのでしょう。

      2. 「ふるさと」かぁ。
        唱歌の「ふるさと」の話しをいつか、機会があったらしようと考えていたのですが、今がそうかなあ?

        これはまた、別立てにしましょうね。
        ちょっと未消化なので、気が向いたら雑談にでも書きますね。

    1. 新春万福、長楽万年を願います!

      あけましておめでとうございます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。